今月野ちゃんが1歳の誕生日を迎える。
1年ってやっぱりなんだかすごくて、生まれてからこの1年で赤ちゃんから子どもになってきた。
泰ちゃんは野ちゃんの為におままごとセットを作った。
菜生ちゃんが「私が材料代とかお金出すから、作ってくれない?」と泰ちゃんに尋ねたら「良いよ!」とふたつ返事。
こんな感じのやつを作ってほしいと図案を示されて、母子二人三脚で作り始める。
日中スクールで材料を切ったり、やすりをかけたり、ペンキを塗ったりと作業を進める泰ちゃん。
終盤は家に持って帰って作業して、続きをスクールでしてとラストスパートをかけていました。
なんでも泰ちゃんと同じことをしたい楓ちゃんも自身の木槌を持って参戦。
釘も上手に打てるようになってきています。
一昨日完成!
誕生日の1週間前に出来ました。
東京のあーちゃんからおままごとセットの野菜がそろそろ届く予定です。
楽しみに待っています。
僕も娘の誕生日にと砂場を製作中ですが、こちらは誕生日に間に合うかどうか微妙なところです。
昨日から久しぶりに首を痛めてしまい、ここ2日ほど朝練を休んでいます。
楓ちゃんは4時にようちえんのお迎えがあって、4時半ごろに帰宅します。
お昼寝なしなので、早め早めに行動して、5時過ぎにはご飯、6時にはお風呂というような感じです。
早ければ6時半に寝ます。
この前楓ちゃんが寝てから、僕は家の周りと田んぼの草刈が出来ました。
日の長いこの時期ならではですね。
スクールでやったアイロンビーズが楽しかったみたいで家でも買ってもらい取り組んでいます。
昨日は晩御飯も後回しにして取り組んでいました。
口ぶりもスクールのお兄さんの口ぶりを真似てみたり、だんだんとお兄さんになっていきます。
一人でアイロンもしていました。
【W杯】
W杯が始まりましたね。
僕の周りでは全然盛り上がっていない(日常的にW杯の話をする機会がありません)が、それでもやっぱり時間を割いて見てしまいます。
団体競技
「大きくなってサッカー選手になるわけでもないんだから」
と一生懸命それに取り組んでいる人に水を差すような発言をする人もいますが・・・
チームとして取り組み、試合をし、「どうしたらこのチームは良くなるんだろう」「この課題に対してどうチームとして向き合ったらいいのか」「自分がどのように成長したらチームの力になるのか」
なんてことを経験を通じて考え実践していく。
それは社会に出て、サッカーとは全然違うことをしていたとしても応用できる思考だったり行動様式であったりすると思う。
何をしていても課題は出てきて、その課題に対してチームとして個人としてどう向き合うか。そんな力(マインド)を学生時代の部活を通じて知らず知らず培われたのではないかと思う。
スペインとポルトガル
後半44分までは違うことを書こうと思っていましたが、ロナウドのFKで全部消し飛んでしまったようです。
あんな感動的なFKは久しぶりです。
スペインのチーム力、技術力・・・なんて事をかき消してしまうような、そんな一発。
一発どころかこの試合ロナウドはハットトリックしているわけですが。
FKをもらってからすぐさまボールをセットし、壁もまだ完成していないときから自分のタイミングで助走をとり、定位置に構え、何度も深呼吸をし、眼光鋭くゴールマウスを見つめるロナウド。
カメラ技術の進歩も素晴らしい。そんな呼吸音が、集中力を増すロナウドの様子がカメラを通じて伝わってくる。
良い試合だった。
スペイン、監督が直前に変わったという事件があったが流石のクォリティ。
良いチーム。
今後も見ていきたい。
見ていきたいチームと注目したい選手。
あぁ 日本も頑張って欲しい!
日本の田舎での暮らしを淡々と綴っていくブログです。 父母と4人の子どもたち。 長女はダウン症。 長女が生まれた時に、ダウン症の子を持つ親のブログを読んだりした時期がありました。 周りの子と比べて大変だなぁって思う事もありますが、楽しい事もたくさんあります。 長女は6歳になりました。
2018年6月16日土曜日
2018年6月6日水曜日
つきうごかされる
「チャレンジタッチ」という進研ゼミの教材を泰ちゃんは友人の紹介でやっている。
その中のアプリで「はとさんメール」というものがあり、設定した6人と自分で字を書いて、絵を描いてメールのやりとりが出来る。
普段通っているスクールのお姉さん(18歳)と「メールのやり取りをしたい。」と言い出し、そのお姉さんにお願いし、メールアドレスを教えてもらい、昨夜初めてそのお姉さんにメールを送っていた。
チャレンジタッチを泰ちゃんがし始めると必ずと言っていいほど楓ちゃんが寄ってくるので、泰ちゃんはどこだったら邪魔されずに出来るだろうかと考え、「そうだ!」と言って台所に移動。
台所に移動してメールを書いていたら、楓ちゃんは踏み台を持ってきて泰ちゃんのチャレンジタッチのところへ移動。
ただこの時は兄のただならぬ雰囲気を感じ取ってか、いつもするように「私にもちょうだい!」といったように強引に奪うというようなことをせずに、じっと傍らで兄の作業を見守る楓ちゃんでした。
2年前くらいに小・中・高校と通わずに18歳で大学に進学して・・・という親子の講演を聞いたことがありましたが、その人の書籍や講演で「字や漢字は友人とのメールのやり取りを通じてたくさん覚えました。」との言葉が蘇りました。
昨日も一生懸命魂を込めて一文一文書いていました。
それにしても泰ちゃんの行動はすごいなと感心します。
それを受け止めてくれるそのお姉さんにも感謝です。
お母さんは嫌がっていましたが、「まぁそう言わずに!」と半ば強引に母の歯磨きをする楓ちゃん。
お世話が大好きで、色々お手伝いしてくれたり、野ちゃんのお世話もしてくれます。
時に過剰になって野ちゃんは泣いてしまいますが、それでも以前のように叩いたり引っかいたり、髪を引っ張ったり・・・というのは回数が減ってきています。
今回も野ちゃんの写真がありません。
ホント泰ちゃんとたくさんの時間を過ごしています。
良いか悪いか
お兄ちゃん(義理の兄)には「理想の形だと思うよ。」と言ってもらいましたが僕は内心、なるべく早い段階で僕や菜生ちゃんの手から離れて自分の良かれと思う道を進んでもらえたらなと思っています。
菜生ちゃんは寂しがっていますが。
親から家族から子が自立した後も良好な関係を築けたら良いなと、そこはそう思いますが。
写真はウッドデッキを作っているところ。
菜生ちゃんが撮ってくれました。
「腰掛蟻継」という継手です。
その中のアプリで「はとさんメール」というものがあり、設定した6人と自分で字を書いて、絵を描いてメールのやりとりが出来る。
普段通っているスクールのお姉さん(18歳)と「メールのやり取りをしたい。」と言い出し、そのお姉さんにお願いし、メールアドレスを教えてもらい、昨夜初めてそのお姉さんにメールを送っていた。
チャレンジタッチを泰ちゃんがし始めると必ずと言っていいほど楓ちゃんが寄ってくるので、泰ちゃんはどこだったら邪魔されずに出来るだろうかと考え、「そうだ!」と言って台所に移動。
台所に移動してメールを書いていたら、楓ちゃんは踏み台を持ってきて泰ちゃんのチャレンジタッチのところへ移動。
ただこの時は兄のただならぬ雰囲気を感じ取ってか、いつもするように「私にもちょうだい!」といったように強引に奪うというようなことをせずに、じっと傍らで兄の作業を見守る楓ちゃんでした。
2年前くらいに小・中・高校と通わずに18歳で大学に進学して・・・という親子の講演を聞いたことがありましたが、その人の書籍や講演で「字や漢字は友人とのメールのやり取りを通じてたくさん覚えました。」との言葉が蘇りました。
昨日も一生懸命魂を込めて一文一文書いていました。
それにしても泰ちゃんの行動はすごいなと感心します。
それを受け止めてくれるそのお姉さんにも感謝です。
お母さんは嫌がっていましたが、「まぁそう言わずに!」と半ば強引に母の歯磨きをする楓ちゃん。
お世話が大好きで、色々お手伝いしてくれたり、野ちゃんのお世話もしてくれます。
時に過剰になって野ちゃんは泣いてしまいますが、それでも以前のように叩いたり引っかいたり、髪を引っ張ったり・・・というのは回数が減ってきています。
今回も野ちゃんの写真がありません。
ホント泰ちゃんとたくさんの時間を過ごしています。
良いか悪いか
お兄ちゃん(義理の兄)には「理想の形だと思うよ。」と言ってもらいましたが僕は内心、なるべく早い段階で僕や菜生ちゃんの手から離れて自分の良かれと思う道を進んでもらえたらなと思っています。
菜生ちゃんは寂しがっていますが。
親から家族から子が自立した後も良好な関係を築けたら良いなと、そこはそう思いますが。
写真はウッドデッキを作っているところ。
菜生ちゃんが撮ってくれました。
「腰掛蟻継」という継手です。
2018年6月5日火曜日
遠くの学校へ歩いて通う
おはようございます。
僕自身の話を少しさせてもらうと、2007年から2年間青年海外協力隊の理数科教師という職種で2年間フィリピンに派遣されていました。
そこでは現場の教師として学校の生徒と向き合うということではなく、日本でいう県の教育委員会に派遣され、研修をコーディネートするお手伝いをしたり、学校のモニタリングに出かけたりという活動もしていました。
僕自身はフィリピンの「田舎」の人たちがどんな生活しているかということに当時から興味があったので、時間を見つけては都市から離れたど田舎に出かけて行ってはそこの家庭がどのように生活しているか、そこの生徒がどのように学校に通っているかなどを体験させてもらったりしていました。
場所によっては2時間かけて歩いて通っている子もいて、日の出前に家を出発して、つり橋を渡ったり・・・なんて事もありました。
雨が降ると川が増水して学校はいけないなんて子もいました。
学校は知識を身につけ、その知識でもって社会で職を得るという手段でありました。
貧困から抜け出す為の大きな手段です。
朝5時前に家を出発して、「学校はどこにあるの?」との僕の問いに「あの山の向こう」と答える彼の姿は今でも印象に残っています。
前置きが少々長くなりましたが、我が子が普段通っているスクールに歩いて通いはじめまています。
「あの山の向こうまで歩くんだ。」と思ったときにフィリピンのあの情景をふと思い出したのです。
彼も今うっすらと見えている山の稜線を超えたところにあるスクールまで歩いて通っています(まだ2日目ですが)。
距離にしたら6キロ弱あるそうです。
さくさく歩いてだいたい1時間15分くらいでしょうか。
昨日僕が一緒に歩いたときは「近道を見つけたよ。教えてあげる。」と言って県道から脇にそれて、薪がきれいに積んである山道を案内してくれました。
「まだ近道があるかもしれない」と、近道探しもしました。
藪の中に分け入って、草で手を切っていました。
ホントは4月から歩いて通う予定にしていましたが、例の入院騒ぎでこのタイミングになっています。
どうなるか分かりませんが、経過をみんなで見守りたいと思っています。
「タニウツギがきれいだね。」
「魚を包んだりする木だ。」
「めっちゃ大きなイタドリ。」
「意外とたくさんアカメガシワがはえているね。」
「こしあぶらって大きくなるとこんな葉っぱなんだ。」
など道脇にある植物に目がいったり。
「父さん、赤ちゃんってどうやって出来るのかな?」
と性教育の時間が始まったり。
前々回(?)の大河ドラマで吉田松陰先生が畑作業をしながら「弟子」たちと色々な会話をして・・・という描写を思い出しました。(松陰先生自身も子どもの頃に畑作業しながら父親から色々なことを教わって・・・とありますね。)
この1時間余りの時間も、僕自身もしかしたら悪くないかもなと思えている2日間です。
ちょうど良い運動になっています。
僕自身の話を少しさせてもらうと、2007年から2年間青年海外協力隊の理数科教師という職種で2年間フィリピンに派遣されていました。
そこでは現場の教師として学校の生徒と向き合うということではなく、日本でいう県の教育委員会に派遣され、研修をコーディネートするお手伝いをしたり、学校のモニタリングに出かけたりという活動もしていました。
僕自身はフィリピンの「田舎」の人たちがどんな生活しているかということに当時から興味があったので、時間を見つけては都市から離れたど田舎に出かけて行ってはそこの家庭がどのように生活しているか、そこの生徒がどのように学校に通っているかなどを体験させてもらったりしていました。
場所によっては2時間かけて歩いて通っている子もいて、日の出前に家を出発して、つり橋を渡ったり・・・なんて事もありました。
雨が降ると川が増水して学校はいけないなんて子もいました。
学校は知識を身につけ、その知識でもって社会で職を得るという手段でありました。
貧困から抜け出す為の大きな手段です。
朝5時前に家を出発して、「学校はどこにあるの?」との僕の問いに「あの山の向こう」と答える彼の姿は今でも印象に残っています。
前置きが少々長くなりましたが、我が子が普段通っているスクールに歩いて通いはじめまています。
「あの山の向こうまで歩くんだ。」と思ったときにフィリピンのあの情景をふと思い出したのです。
彼も今うっすらと見えている山の稜線を超えたところにあるスクールまで歩いて通っています(まだ2日目ですが)。
距離にしたら6キロ弱あるそうです。
さくさく歩いてだいたい1時間15分くらいでしょうか。
昨日僕が一緒に歩いたときは「近道を見つけたよ。教えてあげる。」と言って県道から脇にそれて、薪がきれいに積んである山道を案内してくれました。
「まだ近道があるかもしれない」と、近道探しもしました。
藪の中に分け入って、草で手を切っていました。
ホントは4月から歩いて通う予定にしていましたが、例の入院騒ぎでこのタイミングになっています。
どうなるか分かりませんが、経過をみんなで見守りたいと思っています。
「タニウツギがきれいだね。」
「魚を包んだりする木だ。」
「めっちゃ大きなイタドリ。」
「意外とたくさんアカメガシワがはえているね。」
「こしあぶらって大きくなるとこんな葉っぱなんだ。」
など道脇にある植物に目がいったり。
「父さん、赤ちゃんってどうやって出来るのかな?」
と性教育の時間が始まったり。
前々回(?)の大河ドラマで吉田松陰先生が畑作業をしながら「弟子」たちと色々な会話をして・・・という描写を思い出しました。(松陰先生自身も子どもの頃に畑作業しながら父親から色々なことを教わって・・・とありますね。)
この1時間余りの時間も、僕自身もしかしたら悪くないかもなと思えている2日間です。
ちょうど良い運動になっています。
2018年5月27日日曜日
マイクさん
ウーファーのマイクさんが先週から我が家に滞在している。
アメリカのミシガン州出身の彼は31歳。
車の整備士として働いていたが、自分の人生を見つめなおすため退職。
かつてより興味のあったヨガ(ヨガインストラクターの資格所持)の本場インドへ3か月、その後ベトナムにて2週間、その後日本へ来て、帰国直前に我が家へウーファーとしてやってきた。
自身も軍役についていたり、その弟たちも軍人だったり、祖父もベトナム戦争に出兵してその後の後遺症に悩まされていたりと、戦争と平和に対する意識も高め。
ベトナムでの滞在もベトナム戦争について自身が学校で教えられなかったことを現地に行って確認したいからとのことだったし、日本に来た際も広島に2日滞在し、原爆資料館などにも足を運んでいる。
割と寡黙でリアクションが良いわけではない(なおちゃん評)かもしれないが、何か1つ質問するとしっかりと自分の意見を丁寧に述べてくれる。
「なんでもするよ。整備士だったから機械の事は得意だし、薪割りとか、草刈とか、道具の修理とか。」の言葉通り、なんでもパワフルにそして器用にこなすマイクさん。
子どもたちも慣れ、一緒に将棋をして遊んだり、英語や日本語を教えあったり、楓ちゃんはマイクさんに歯を磨いてもらいたがったり、おんぶしてもらったり。
僕も普段からやりたいなぁって思っていて後回しになっていたものをマイクさんにしてもらったりでとても助かりました。
凹んだ軽トラのドアも「20分あれば直せると思うよ。」の言葉通り、20分で直してくれました。
開け閉めの度にドアが引っ掛かりストレスだったのが、ストレスフリーに。
買った時のような状態になりました。
一緒に田植えも出来ました。
苗代で育った苗を1本1本手植えで。
今シーズンは「すじ」と地元で呼ばれる道具を借りて線を引き、その線を目印に田植えをしました。
かつて友人のゴルゴがしていた田んぼが僕の中の理想の田んぼの在りようなのですが、まだまだその域は程遠く。
苗1本1本が逞しく元気に育ち、その育った苗を自信を持って田んぼに1本1本植えていく。
そしてその苗は自身の持てる力を存分に発揮しながら田んぼで大きくなっていく。
そんなコメ作りが出来たら良いなと思うのですが、まだまだですわ。
こちらは近所に越してきたやまぴーと共同で行う田んぼ。
これの他にもう1枚。
こちらは急な話だったので、今年は機械で。
機械使ったり、自分の体を使ったり。
色々試しています。
機械も自分の体を動かすように一体となって操作出来るようになったら良いのだろうけれど。
そんなこんなで今シーズンの田植えはほとんど終了。
あとは苗代として使っていた田んぼ(1畝~2畝)にもち米を植えておしまいです。
年を追うごとにスムーズに出来るようになってきて嬉しいです。
朝練で毎朝4時ごろ起きていた生活も、来週からは少しゆとりが生まれそうです。
マイクさんには薪割りも頑張ってもらいました。
僕が朝山から軽トラ一杯木を下してくると夕方には薪になって薪置き場に積まれているというなんとも気持ちの良い状態。
仕事へ行って帰ってきたら、草は刈られているし、田植えは終わっているし、薪は割られて積まれているし、で魔法のようだという話をしていました。
マイクさんも日本のローカルな生活を一緒に体験出来て嬉しそうにしています。(きっと)
今日は日曜日で「田植えお疲れさま」的な祭りが地元の神社であります。
そこに一緒に行ってお酒を飲んでも良いし、どうしようかなぁって昨晩一緒に話していました。
マイクさんは明日には大阪へ向けて旅立ちます。
大阪で2泊、東京で1週間滞在してアメリカに戻るそう。
まだ終わってないけれど、良い出会いでした。
アメリカのミシガン州出身の彼は31歳。
車の整備士として働いていたが、自分の人生を見つめなおすため退職。
かつてより興味のあったヨガ(ヨガインストラクターの資格所持)の本場インドへ3か月、その後ベトナムにて2週間、その後日本へ来て、帰国直前に我が家へウーファーとしてやってきた。
自身も軍役についていたり、その弟たちも軍人だったり、祖父もベトナム戦争に出兵してその後の後遺症に悩まされていたりと、戦争と平和に対する意識も高め。
ベトナムでの滞在もベトナム戦争について自身が学校で教えられなかったことを現地に行って確認したいからとのことだったし、日本に来た際も広島に2日滞在し、原爆資料館などにも足を運んでいる。
割と寡黙でリアクションが良いわけではない(なおちゃん評)かもしれないが、何か1つ質問するとしっかりと自分の意見を丁寧に述べてくれる。
「なんでもするよ。整備士だったから機械の事は得意だし、薪割りとか、草刈とか、道具の修理とか。」の言葉通り、なんでもパワフルにそして器用にこなすマイクさん。
子どもたちも慣れ、一緒に将棋をして遊んだり、英語や日本語を教えあったり、楓ちゃんはマイクさんに歯を磨いてもらいたがったり、おんぶしてもらったり。
僕も普段からやりたいなぁって思っていて後回しになっていたものをマイクさんにしてもらったりでとても助かりました。
凹んだ軽トラのドアも「20分あれば直せると思うよ。」の言葉通り、20分で直してくれました。
開け閉めの度にドアが引っ掛かりストレスだったのが、ストレスフリーに。
買った時のような状態になりました。
一緒に田植えも出来ました。
苗代で育った苗を1本1本手植えで。
今シーズンは「すじ」と地元で呼ばれる道具を借りて線を引き、その線を目印に田植えをしました。
かつて友人のゴルゴがしていた田んぼが僕の中の理想の田んぼの在りようなのですが、まだまだその域は程遠く。
苗1本1本が逞しく元気に育ち、その育った苗を自信を持って田んぼに1本1本植えていく。
そしてその苗は自身の持てる力を存分に発揮しながら田んぼで大きくなっていく。
そんなコメ作りが出来たら良いなと思うのですが、まだまだですわ。
こちらは近所に越してきたやまぴーと共同で行う田んぼ。
これの他にもう1枚。
こちらは急な話だったので、今年は機械で。
機械使ったり、自分の体を使ったり。
色々試しています。
機械も自分の体を動かすように一体となって操作出来るようになったら良いのだろうけれど。
そんなこんなで今シーズンの田植えはほとんど終了。
あとは苗代として使っていた田んぼ(1畝~2畝)にもち米を植えておしまいです。
年を追うごとにスムーズに出来るようになってきて嬉しいです。
朝練で毎朝4時ごろ起きていた生活も、来週からは少しゆとりが生まれそうです。
マイクさんには薪割りも頑張ってもらいました。
僕が朝山から軽トラ一杯木を下してくると夕方には薪になって薪置き場に積まれているというなんとも気持ちの良い状態。
仕事へ行って帰ってきたら、草は刈られているし、田植えは終わっているし、薪は割られて積まれているし、で魔法のようだという話をしていました。
マイクさんも日本のローカルな生活を一緒に体験出来て嬉しそうにしています。(きっと)
今日は日曜日で「田植えお疲れさま」的な祭りが地元の神社であります。
そこに一緒に行ってお酒を飲んでも良いし、どうしようかなぁって昨晩一緒に話していました。
マイクさんは明日には大阪へ向けて旅立ちます。
大阪で2泊、東京で1週間滞在してアメリカに戻るそう。
まだ終わってないけれど、良い出会いでした。
2018年5月13日日曜日
雑魚寝
父が言った
「あの頃、1階の畳の部屋で家族5人パズルのように重なりながら、子どもの寝息を聞きながら寝ていたころが1番幸せだったかもしれない。」
と。
直後、今2人暮らしをしている母の視線を感じ
「今もとても幸せだけどね。」
と付け加えていた。
今がその時なんだろうなぁと思う。
なおちゃんに写真にとっておいてと言われて最近撮っている寝写真。
先日は楓ちゃんのようちえんの父親参観日があり、僕も休みがとれたので参加してきた。
当日の朝まさかの3時起き(前日の夜は6時寝)の楓ちゃん。
なんとか午前中寝させずに参加、お昼ご飯を食べて12時30分には早退して昼寝しました。
娘が友達と帽子替えっこして遊ぶ姿や友達と一緒にお弁当を広げて食べる姿なんかが見えました。
外で食べるというのは、砂がついたり、落としたおかずが砂だらけになったりとなかなか大変な事もありますね。
周りの友達も楓ちゃんの言葉にならない言葉を代弁してくれていたりとかで優しさを感じました。
(楓ちゃんが帽子替えっこをしたがると「帽子替えっこしたいんだね。」「良いよ。」なんて言いながら替えっこしてくれていたり。)
楓ちゃんも段々と慣れてきたかな。
夜はお父さん達の懇親会。
良い意味で「変わった」幼稚園なので、良い意味で「変わった」お父さん達がたくさん。
新しく入ってきたお父さんは、最近うちの近所に引っ越してきて今年は一緒に田んぼもします。
経歴も面白く、1年間ダライラマについて取材した経験もあるのだそう。
その他にも面白い経歴がたくさんたくさん。
それぞれが自分の描く理想と現実の狭間で一生懸命生活をデザインしていっているような
そんな家庭が多い気がします。
今日は7日ぶりの日曜日。
家族でどのように過ごそうかな。
昨日は良い天気だったけれど、今日はあいにくの雨。
地元の祭に行こうかと思っていたけれど、どうでしょうか。
田植えのことも頭をよぎります。
「あの頃、1階の畳の部屋で家族5人パズルのように重なりながら、子どもの寝息を聞きながら寝ていたころが1番幸せだったかもしれない。」
と。
直後、今2人暮らしをしている母の視線を感じ
「今もとても幸せだけどね。」
と付け加えていた。
今がその時なんだろうなぁと思う。
なおちゃんに写真にとっておいてと言われて最近撮っている寝写真。
先日は楓ちゃんのようちえんの父親参観日があり、僕も休みがとれたので参加してきた。
当日の朝まさかの3時起き(前日の夜は6時寝)の楓ちゃん。
なんとか午前中寝させずに参加、お昼ご飯を食べて12時30分には早退して昼寝しました。
娘が友達と帽子替えっこして遊ぶ姿や友達と一緒にお弁当を広げて食べる姿なんかが見えました。
外で食べるというのは、砂がついたり、落としたおかずが砂だらけになったりとなかなか大変な事もありますね。
周りの友達も楓ちゃんの言葉にならない言葉を代弁してくれていたりとかで優しさを感じました。
(楓ちゃんが帽子替えっこをしたがると「帽子替えっこしたいんだね。」「良いよ。」なんて言いながら替えっこしてくれていたり。)
楓ちゃんも段々と慣れてきたかな。
夜はお父さん達の懇親会。
良い意味で「変わった」幼稚園なので、良い意味で「変わった」お父さん達がたくさん。
新しく入ってきたお父さんは、最近うちの近所に引っ越してきて今年は一緒に田んぼもします。
経歴も面白く、1年間ダライラマについて取材した経験もあるのだそう。
その他にも面白い経歴がたくさんたくさん。
それぞれが自分の描く理想と現実の狭間で一生懸命生活をデザインしていっているような
そんな家庭が多い気がします。
今日は7日ぶりの日曜日。
家族でどのように過ごそうかな。
昨日は良い天気だったけれど、今日はあいにくの雨。
地元の祭に行こうかと思っていたけれど、どうでしょうか。
田植えのことも頭をよぎります。
2018年5月8日火曜日
日常を取り戻す
菜生ちゃんもだいぶ動けるようになってきて、ちょっとずつ日常が戻ってきているような感じです。
前回のブログも書いたし、ちょっとずつまた日常をブログに綴っていけたらと思います。
楓ちゃんの心臓の手術の時も長い病院生活でした。
あの時も病院の窓から見える景色だったり、行き交う人たちを見て「あぁ早く日常が戻ってきてほしい。」と願ったものでした。
GW
毎年恒例になってきていますが、菜生ちゃんのお兄ちゃんファミリー・お父さんお母さんが遊びに来てくれました。
どこかへ出かけても人混みだからとここ最近はずっと出かけずに家の周りで過ごしています。
出かけるならばオフシーズンにお出かけしたいものです。
休みの日は「朝の会」なるものをして、それぞれ話したい事(やりたい事・思っていることなどなんでも)を話してその日の予定を立てるのが恒例になっています。
泰ちゃんは「じぃじも来てくれたし、ベッドを作りたい!」とかねてから胸に秘めていた思いを発表。
「よし!やろう!」とじぃじも乗ってくれて、二段ベッドの上段に上がるための階段を裏の納屋から材料を取り出してきて一緒に作ってくれました。
ホワイトパインの白とケヤキの黒がオシャレです。
釘を使わずに組んでつくるというこだわりぶりでした。
いとこたちが来るともう子どもの世界。
子どもだけで笑いながらケンカしながらずっと時間を過ごします。
最近届いて取り組んでいるチャレンジタッチもみんなでやる場面もありましたよ。
Tちゃんは今年から中学生になりました。
僕が出会ったのが3歳の時だから出会ってから9年経ったようです。
あと9年もしたら一緒にお酒でも飲んでいるかもしれない。
いとこチームは年齢も大きくなりそれぞれの活動(サッカーやボート)が忙しくなり1泊の滞在でした。
でも、定期的にこうして会えて遊べて良いなと思います。
「今度は1人で汽車に乗ってくるからね。」と言ってMくんは帰っていきました。
そうやって行き来出来るようになったらいいな。
みんなが帰った後に残った丸太を割りました。
泰ちゃんは斧の柄が折れてしまったので直していましたよ。
ちょっとずつ道具も使えるようになったらいいね。
楓ちゃんも自分の木槌でトントン一緒にしていました。
野ちゃんは飛び散っている木っ端を食べていました。
この前の日曜日は「野草を天ぷらにして食べる」をしました。
山菜を採って楽しむどころではなかった先月でしたが、やっとそんなことが出来ました。
町内で「道草をとって食べる会」というのがあったのですが、ちょっと子どもや背中の痛い妻を連れて参加するのは無理がありそうとのことで、独自に家の周りの草を採って天ぷらにして食べました。
図鑑を見ながら採ったのですが、今回初めてヒメジオンを天ぷらにして食べました。
これがなかなか個性的な味で(独特の風味と苦み)個人的には好きでした。
その他にはイタドリ・クズ・カラスノエンドウ・ヨモギ・ユキノシタ・などを採って天ぷらにしました。
安全第一・健康第一でぼちぼちとやっていきたいものです。
最近は朝練で田植えの準備をしています。
無事に田植えが済みますように。
前回のブログも書いたし、ちょっとずつまた日常をブログに綴っていけたらと思います。
楓ちゃんの心臓の手術の時も長い病院生活でした。
あの時も病院の窓から見える景色だったり、行き交う人たちを見て「あぁ早く日常が戻ってきてほしい。」と願ったものでした。
GW
毎年恒例になってきていますが、菜生ちゃんのお兄ちゃんファミリー・お父さんお母さんが遊びに来てくれました。
どこかへ出かけても人混みだからとここ最近はずっと出かけずに家の周りで過ごしています。
出かけるならばオフシーズンにお出かけしたいものです。
休みの日は「朝の会」なるものをして、それぞれ話したい事(やりたい事・思っていることなどなんでも)を話してその日の予定を立てるのが恒例になっています。
泰ちゃんは「じぃじも来てくれたし、ベッドを作りたい!」とかねてから胸に秘めていた思いを発表。
「よし!やろう!」とじぃじも乗ってくれて、二段ベッドの上段に上がるための階段を裏の納屋から材料を取り出してきて一緒に作ってくれました。
ホワイトパインの白とケヤキの黒がオシャレです。
釘を使わずに組んでつくるというこだわりぶりでした。
いとこたちが来るともう子どもの世界。
子どもだけで笑いながらケンカしながらずっと時間を過ごします。
最近届いて取り組んでいるチャレンジタッチもみんなでやる場面もありましたよ。
Tちゃんは今年から中学生になりました。
僕が出会ったのが3歳の時だから出会ってから9年経ったようです。
あと9年もしたら一緒にお酒でも飲んでいるかもしれない。
いとこチームは年齢も大きくなりそれぞれの活動(サッカーやボート)が忙しくなり1泊の滞在でした。
でも、定期的にこうして会えて遊べて良いなと思います。
「今度は1人で汽車に乗ってくるからね。」と言ってMくんは帰っていきました。
そうやって行き来出来るようになったらいいな。
みんなが帰った後に残った丸太を割りました。
泰ちゃんは斧の柄が折れてしまったので直していましたよ。
ちょっとずつ道具も使えるようになったらいいね。
楓ちゃんも自分の木槌でトントン一緒にしていました。
野ちゃんは飛び散っている木っ端を食べていました。
この前の日曜日は「野草を天ぷらにして食べる」をしました。
山菜を採って楽しむどころではなかった先月でしたが、やっとそんなことが出来ました。
町内で「道草をとって食べる会」というのがあったのですが、ちょっと子どもや背中の痛い妻を連れて参加するのは無理がありそうとのことで、独自に家の周りの草を採って天ぷらにして食べました。
図鑑を見ながら採ったのですが、今回初めてヒメジオンを天ぷらにして食べました。
これがなかなか個性的な味で(独特の風味と苦み)個人的には好きでした。
その他にはイタドリ・クズ・カラスノエンドウ・ヨモギ・ユキノシタ・などを採って天ぷらにしました。
安全第一・健康第一でぼちぼちとやっていきたいものです。
最近は朝練で田植えの準備をしています。
無事に田植えが済みますように。
2018年4月25日水曜日
支えられて
備忘録として
4月2日(月) 2.3日続く高熱と腹痛により泰ちゃん入院
4月6日(金) 結局原因は特定できずに元気になったということで退院
4月8日(日) 菜生ちゃん階段から落ちて救急車に運ばれる。第12胸椎圧迫骨折(全治8週間)。
4月12日(木) 楓ちゃん保育中に大きな石が上に被さり救出されるもドクターヘリで運ばれそのまま集中治療室へ。左股関節脱臼(全治3週間)。
4月13日(金) 菜生ちゃん楓ちゃん退院。久しぶりに家族が家に揃う。
怒涛の10日間でした。
その間両家のお母さん達に大変お世話になりなんとか生活させてもらっていました。
思い出すとズーンと重たい気持ちになりますが、僕たちがおじいちゃん・おばあちゃんになったときに見返して「あーこんなこともあったねぇ。あの時は大変だったねぇ。」と振り返れるようにちょっと書いておこうかと思います。
《泰ちゃん腹痛と高熱により入院》
3月30日からなんとなくお腹が痛いと訴える。
ま、それほど強く訴えるわけでもないし(最初は菜生ちゃんに訴え、僕に伝えてきたのはその翌日)ちょっと様子をみようかと見ていたけれど、次の日になってもその次の日になってもお腹が痛いという。耐えられないような激痛ではなかったが、食欲が落ち、2日目からは発熱も伴う。熱も39度台と割と高めの熱が2日続き、3日目が月曜日だったので病院を受診するとそのまま様子を見ましょうということで入院になった。点滴や抗生剤などですぐに元気になるかなと思ったが、そういうわけには行かず、しばらく入院ということに。
カンピロバクターやエルシニアなどの菌を医師は疑い、初日に便の検査を行った。
便の検査結果が出て原因がハッキリしてから退院して欲しいと言われ、検査結果が出るのに5日くらいはかかると言われ「ガーン」となったことを覚えている。
食中毒が怪しいと言われ、僕たちが普段している生活(シカや鶏を捌いて食べたり、自家養鶏から取れる卵を食したり、地下24mからの井戸水を利用していたり)という生活に対して一考を迫られる思いだった。
入院して三日ほど経つと熱も下がり元気になってきた。
入院当初から服用していた抗生剤が効いたにしては遅すぎるし、解熱直前に点滴に入れた抗生剤が効いたにしては早すぎるということだったらしいが、何はともあれ解熱して少し元気を取り戻したのは安心材料だった。
泰ちゃんは入院生活も2日ともなると早くもその生活に退屈し始め、「病院に行くって言わなければ良かった。言わなければ入院せずに済んだのに。」と悔やんでいた。
木曜日、便の結果が出た。
結果疑っていた菌その他は何も検出されなかった。
ホッとしたのと同時に、では何が原因だったのだろうという疑問も残った。
医師も結局原因が特定出来ませんでしたが、何かしらのウィルスに感染したと考えられますとのこと。
元気になったし、退院をさせて欲しいと願い出たが(金曜日に楓ちゃんの入園式があったので)、まだ電解質の値(ナトリウム)が正常範囲内に無いから入院を続けて欲しいと医師に言われる。
早くても金曜日の夕方とか言われたが、そこを何とかと懇願して金曜日の朝に退院出来た。
バタバタだったが、何とか家族全員で楓ちゃんの入園式に参加出来た。
《菜生ちゃん脊椎圧迫骨折》
6日(日)の朝
泰ちゃんの入院の事もあり、満足に花見も出来ていなかった今年の我が家。
6日は地元の河川敷で桜まつりがあるということで、そこの祭にでも行けたら良いかなぁと頭の片隅で考えながら泰ちゃんと1階のリビングで団欒(泰ちゃんはテレビを見ていた)していた朝7時15分。
今でも思い出したくない様な階段を滑り落ちる凄まじい音と階段を落ち切った後に階段の向こうにあるガラス戸にガシャーンと衝突する音。そんな音の直後に妻の「いたーい!」という叫び声と楓ちゃんの切り裂くような鳴き声が家中に響く。
一瞬で只事ではない事が分かるその音と叫び声に、隣の部屋にいた僕は駆けつける。すぐに2人で階段から滑り落ちたであろうことと、それも階段のかなり上段からであることが伺える。
妻と娘の状況、ボディチェックを済ませ、娘を抱えながら妻に「救急車呼ぶよ!」との僕の問いかけに間髪入れずに「早く呼んで!」との応え。その様子に緊迫感が一気に高まる。
未だ隣の部屋でついていたテレビを泰ちゃんに消させ、部屋から毛布を持ってきてもらい妻にかける。その間、119番通報をする。
人生で初めての119番通報。その時は娘も何やらただ事でない状況を感じ取ってか、僕の腕に静かに抱かれていた。
電話口の向こうで「火事ですか?救急ですか?」との問いかけ。
「救急です。○○に住む、○○です。ただ今妻と娘が階段から落ちました。娘は既に泣き止み大丈夫そうですが、妻が強く背中の痛みを訴えています。段々と呼吸が苦しくなってきたと言っています。」
と今の状況を伝える。
「今救急車をそちらに向かわせています。」と救急隊員。
「背中以外のどこか痛みを訴えていますか?意識はどうですか?」などの質問もあったように思う。
幸い妻の意識ははっきりしていて、そこは安心材料ではあった。
119番通報も「救急車があと5,6分で到着しますので分かりやすいところで誘導をお願い出来ますか?」との会話を最後に終えた。
妻が、「救急車で病院ってことになったらみんなではいけないから、お隣さんに助けを呼びに行って。」「野ちゃんは一緒に行かないとダメだと思うから、野ちゃんのおむつや水筒の準備もお願い。」
と冷静に指示。(こんな事を考え指示出来るということにまた少し安心感を覚えた。ただ背中はだいぶ痛そうで微動だに出来ない状況ではあった。)
息子に外に出て救急車が来たら手を振るように指示を出し、楓ちゃんが部屋で音の出るオモチャで遊んでいるのを確認し、隣へ走る。
隣で状況を説明すると、すぐに3人が駆けつけてくれた。
2階でまだ寝ていた野ちゃんを起こし、抱っこひもで抱っこをし、おむつや水筒などの準備をする。
ストレッチャーが玄関先まで入れるように、玄関先に止めていた車を脇にどかす。
(お隣さんが寒さで凍っていたフロントガラスを水をかけて溶かしてくれていた。)
そんなことをしていると間もなく救急車が到着。
救急隊3人で対応。
妻に話しかける人(状況を見て確認する人)が「感覚はありますか?」と足の先を触る。
「あります。」との妻の声が聞こえ(僕は必要書類に必要事項を記入中だった。)ホッとしたのを覚えている。
3人が妻の体が動かないようにそっと玄関先に置いてあるストレッチャーに乗せる。
ただそれだけの作業なのであるが、妻が痛がり、足を伸ばせずに玄関まで移動させるのでも不安がる様子もあった。
ストレッチャーに乗せ救急車に乗り込み、搬送先の病院を探す。
(その頃には救急車の音を聞いて近所の人も家の外に出ている姿が散見され、たまたま通りかかった近所の友人も心配そうに傍らにいてくれた。)
幸い近くの病院が受け入れオーケー(たまたま整形外科の先生が当直だった。)で病院に出発。
泰ちゃんと楓ちゃんはお隣さんでお留守番してもらった。
CT・レントゲンなどの結果、第12胸椎の圧迫骨折であることが分かる。
「全治8週間」という診断に事の重大さを感じつつも、麻痺などの後遺症の心配は無さそうとのことでホッとしたのは覚えている。
午前中いっぱい入院手続きやら準備やらで病院を往復した。
両家に報告のラインをしたら、すぐに菜生ちゃんのお父さんお母さんが来てくれ、東京から僕の母が月曜日から応援に来てくれることなった。
僕の母が5日間、その後菜生ちゃんのお母さんが1週間(1週あけてまた1週間)助けに来てくれて今があります。
お陰様でなんとか生活を続けることが出来ました。
菜生ちゃんは日曜日から入院して金曜日の夕方には退院しました。(トイレに1人で行けるようになったら退院しても良いよ。とのこと。病院にいても特別な処置はなくベッドの上で安静にしているというだけのことらしい。)
階段から落ちて4週間ほどになりますが、だいぶ元気になってきました。(1時間くらい立っているとしんどくなります。)
≪楓ちゃん保育中に大きな石が落ちてきて挟まる≫
4月11日(木)11時30分ごろ 楓ちゃん保育中に大きな石(推定200キロだそう)が滑り落ちてきて(1mくらいだろうか)下にいた楓ちゃんの上に被さるという事故が起きた。
幸い両脇に石がありその石に落ちてきた石が支えられ楓ちゃんは下敷きにならずに済んだ。保育スタッフ3人がいたが、大人3人でも持ち上がらずスタッフの1人が機転を利かせ車載工具のジャッキを使って石を持ち上げ、それでも引っ張り出すことが出来なかったので下の砂利を掘って何とか救出した。(その間5分程度だった)
救出されて抱っこしていたらウトウトしだして木陰に横にしたらしい。
間もなく救急隊が到着。
状況を確認し救急車よりもヘリコプターで運ぼうと近くの小学校の校庭に救急車で移動。
県内の病院でなく、隣県にある豊岡病院に運ばれることになった。
ヘリが飛び立つ直前(12時30分ころ)に僕もその校庭に到着。
定員の関係で僕はヘリコプターに乗ることが出来ず、「急ぎますから」とのことで楓ちゃんの顔も見ることが出来ずヘリコプターは豊岡の病院へ向けて飛び立った。
楓ちゃんの意識ははっきりしていたようで、しきりにベビーサインで「お父さん」「泰ちゃん」としていたそう。
スタッフに状況を聞き、現場も見させてもらい(その前に電話で状況の報告を受けたり、ヘリコプターのところで口頭で説明を受けたりしていたが、現場の石を見て事の重大さがはっきりと伝わってきた。)すぐに家に帰り入院セットなどをかばんに詰め込み豊岡に向けて出発(家から2時間くらい)。
その時、妻も地元の病院に入院していたので、僕の母に9か月の野ちゃんを託し、泰ちゃんの学校の送迎は友人に託し出発した。
母もまさか9か月の野ちゃんと泰ちゃんとその夜3人で過ごすことになるとは思いもよらなかった(というよりみんなが思いもよらなかったことが起きた。)だろう。
道中2時間、僕も楓ちゃんと対面することなく病院に向けて走っていたので色々なことが脳裏をよぎる。
病院まであと30キロというところで病院から連絡があった。「ダウン症であること。心室中隔欠損であること。胸の傷跡はそのときの手術のときのものであること。特にアレルギーはないという事。」を伝えた。「レントゲン・CTなどの結果、今はとりあえず左股関節の脱臼が見られる。その処置の為に眠り薬を服用させても良いか。」などのやりとりがあった。
その時に「娘の命に別状はありませんか?」と聞き「大丈夫です。」と言われひとまずホッとしたのを覚えている。
3時過ぎ病院に到着。
楓ちゃんと対面。脱臼の処置が済んだあとで、眠り薬でぐっすり眠っていた。呼びかけても起きなかった。顔・腰などに擦過傷、体中に鬱血症(赤い斑点)が出ていた。寝息をたてて寝ていた。
対面後、先生から説明を受ける。「CT・レントゲンなどの検査の結果、脳・骨・内臓に今のところ異常は見つかっていません。左股関節の脱臼がありましたので処置させてもらいました。1分もかからずにスッと処置を済ませることが出来ました。」との説明(救急)。
「状況が状況ですので1晩ICUに入院してもらうことになります。何もなければ次の日からは小児病棟に移れるかと思いますがだいたい3週間ほどの入院になるかと思います。」との説明があった(整形外科)。
あれだけの石が被さってきてよくもまあ脳・骨・内臓が無事だったと胸をなでおろした。
同伴してくれた幼稚園の園長先生にも状況を説明し、園長先生と別れICUに移動。
じきに楓ちゃんが目を覚ます。
楓ちゃんも楓ちゃんで大変なことがあったと(ドクターヘリで運ばれ、僕と対面するまで1人だった)神妙な面持ちで、しかしはっきりとした意識でサインを使って僕に話しかける。(特に取り乱して泣くというような風ではなく、冷静に色々お話出来た。)
最近よくするサインで「ちゃっしー(幼稚園スタッフ)」「さんぽ」と何度も何度もサインで伝えてきた。
左足は牽引された状態であった。
個室に移動し晩御飯が運ばれてくると食欲もあり8割ほどはモリモリ食べれた。
機嫌も良く、食欲もあり、意識もはっきりしていてホントに良かったと安心した。
歯を磨き、おむつを替えて、部屋を暗くして添い寝をしたら9時過ぎくらいには寝た。
寝たのを見計らってICUを出て(ICUは携帯の電源OFF)家庭に園に今の状況を報告。
翌日も7時前に起床。
相変わらず食欲もあり、モリモリ食べる。
3週間ほどの入院と言われていたが、残してきた子どもたちのこともあるし、出来れば地元の病院に転院したい旨を相談していたら、牽引も必要ないしベッドの上で安静にしているだけなので自宅転院も含め転院の承諾がとれて、入院24時間後にはICUを後にしてとりあえず地元の病院に転院することが出来た。
転院する際も安静に搬送する用の介護タクシーなるものがあったそうだが、それだとまた僕が車を取りに来ないといけないというようなこともあり、助手席をフラットにして安静に娘を運びますからということで、自家用車の助手席に楓ちゃんを乗せて病院を後にすることが出来た。
ちょうどお昼寝のタイミングだったので移動中の2時間はずっと眠ったまま移動できた。
午後2時過ぎ、地元の病院に到着。
そこで入院していた妻とも再会出来た。
まさかこんな形でこんな場所での再会になるとは思いも寄らなかった。
妻の背中も楓ちゃんの知らせを聞いた時(事故当時、妻の入院に搬送されるかもしれないとの連絡が妻にあった。)には痛みがなくなって病院の下まで移動出来たという。
楓ちゃんもベッドの上で安静にしているだけ、妻も自力でトイレに行ける、ということで金曜日の夜7時くらいには退院して自宅に帰ることが出来た。
これで病院との生活も一区切り。
目が回るような長い病院生活でした。
(楓ちゃんの心臓などの手術のときも長い病院生活だったが、それとはまた違ったなんと形容して良いか分からないが、「色々次々に起こり」大変だった病院生活でした。)
4月2日(月) 2.3日続く高熱と腹痛により泰ちゃん入院
4月6日(金) 結局原因は特定できずに元気になったということで退院
4月8日(日) 菜生ちゃん階段から落ちて救急車に運ばれる。第12胸椎圧迫骨折(全治8週間)。
4月12日(木) 楓ちゃん保育中に大きな石が上に被さり救出されるもドクターヘリで運ばれそのまま集中治療室へ。左股関節脱臼(全治3週間)。
4月13日(金) 菜生ちゃん楓ちゃん退院。久しぶりに家族が家に揃う。
怒涛の10日間でした。
その間両家のお母さん達に大変お世話になりなんとか生活させてもらっていました。
思い出すとズーンと重たい気持ちになりますが、僕たちがおじいちゃん・おばあちゃんになったときに見返して「あーこんなこともあったねぇ。あの時は大変だったねぇ。」と振り返れるようにちょっと書いておこうかと思います。
《泰ちゃん腹痛と高熱により入院》
3月30日からなんとなくお腹が痛いと訴える。
ま、それほど強く訴えるわけでもないし(最初は菜生ちゃんに訴え、僕に伝えてきたのはその翌日)ちょっと様子をみようかと見ていたけれど、次の日になってもその次の日になってもお腹が痛いという。耐えられないような激痛ではなかったが、食欲が落ち、2日目からは発熱も伴う。熱も39度台と割と高めの熱が2日続き、3日目が月曜日だったので病院を受診するとそのまま様子を見ましょうということで入院になった。点滴や抗生剤などですぐに元気になるかなと思ったが、そういうわけには行かず、しばらく入院ということに。
カンピロバクターやエルシニアなどの菌を医師は疑い、初日に便の検査を行った。
便の検査結果が出て原因がハッキリしてから退院して欲しいと言われ、検査結果が出るのに5日くらいはかかると言われ「ガーン」となったことを覚えている。
食中毒が怪しいと言われ、僕たちが普段している生活(シカや鶏を捌いて食べたり、自家養鶏から取れる卵を食したり、地下24mからの井戸水を利用していたり)という生活に対して一考を迫られる思いだった。
入院して三日ほど経つと熱も下がり元気になってきた。
入院当初から服用していた抗生剤が効いたにしては遅すぎるし、解熱直前に点滴に入れた抗生剤が効いたにしては早すぎるということだったらしいが、何はともあれ解熱して少し元気を取り戻したのは安心材料だった。
泰ちゃんは入院生活も2日ともなると早くもその生活に退屈し始め、「病院に行くって言わなければ良かった。言わなければ入院せずに済んだのに。」と悔やんでいた。
木曜日、便の結果が出た。
結果疑っていた菌その他は何も検出されなかった。
ホッとしたのと同時に、では何が原因だったのだろうという疑問も残った。
医師も結局原因が特定出来ませんでしたが、何かしらのウィルスに感染したと考えられますとのこと。
元気になったし、退院をさせて欲しいと願い出たが(金曜日に楓ちゃんの入園式があったので)、まだ電解質の値(ナトリウム)が正常範囲内に無いから入院を続けて欲しいと医師に言われる。
早くても金曜日の夕方とか言われたが、そこを何とかと懇願して金曜日の朝に退院出来た。
バタバタだったが、何とか家族全員で楓ちゃんの入園式に参加出来た。
《菜生ちゃん脊椎圧迫骨折》
6日(日)の朝
泰ちゃんの入院の事もあり、満足に花見も出来ていなかった今年の我が家。
6日は地元の河川敷で桜まつりがあるということで、そこの祭にでも行けたら良いかなぁと頭の片隅で考えながら泰ちゃんと1階のリビングで団欒(泰ちゃんはテレビを見ていた)していた朝7時15分。
今でも思い出したくない様な階段を滑り落ちる凄まじい音と階段を落ち切った後に階段の向こうにあるガラス戸にガシャーンと衝突する音。そんな音の直後に妻の「いたーい!」という叫び声と楓ちゃんの切り裂くような鳴き声が家中に響く。
一瞬で只事ではない事が分かるその音と叫び声に、隣の部屋にいた僕は駆けつける。すぐに2人で階段から滑り落ちたであろうことと、それも階段のかなり上段からであることが伺える。
妻と娘の状況、ボディチェックを済ませ、娘を抱えながら妻に「救急車呼ぶよ!」との僕の問いかけに間髪入れずに「早く呼んで!」との応え。その様子に緊迫感が一気に高まる。
未だ隣の部屋でついていたテレビを泰ちゃんに消させ、部屋から毛布を持ってきてもらい妻にかける。その間、119番通報をする。
人生で初めての119番通報。その時は娘も何やらただ事でない状況を感じ取ってか、僕の腕に静かに抱かれていた。
電話口の向こうで「火事ですか?救急ですか?」との問いかけ。
「救急です。○○に住む、○○です。ただ今妻と娘が階段から落ちました。娘は既に泣き止み大丈夫そうですが、妻が強く背中の痛みを訴えています。段々と呼吸が苦しくなってきたと言っています。」
と今の状況を伝える。
「今救急車をそちらに向かわせています。」と救急隊員。
「背中以外のどこか痛みを訴えていますか?意識はどうですか?」などの質問もあったように思う。
幸い妻の意識ははっきりしていて、そこは安心材料ではあった。
119番通報も「救急車があと5,6分で到着しますので分かりやすいところで誘導をお願い出来ますか?」との会話を最後に終えた。
妻が、「救急車で病院ってことになったらみんなではいけないから、お隣さんに助けを呼びに行って。」「野ちゃんは一緒に行かないとダメだと思うから、野ちゃんのおむつや水筒の準備もお願い。」
と冷静に指示。(こんな事を考え指示出来るということにまた少し安心感を覚えた。ただ背中はだいぶ痛そうで微動だに出来ない状況ではあった。)
息子に外に出て救急車が来たら手を振るように指示を出し、楓ちゃんが部屋で音の出るオモチャで遊んでいるのを確認し、隣へ走る。
隣で状況を説明すると、すぐに3人が駆けつけてくれた。
2階でまだ寝ていた野ちゃんを起こし、抱っこひもで抱っこをし、おむつや水筒などの準備をする。
ストレッチャーが玄関先まで入れるように、玄関先に止めていた車を脇にどかす。
(お隣さんが寒さで凍っていたフロントガラスを水をかけて溶かしてくれていた。)
そんなことをしていると間もなく救急車が到着。
救急隊3人で対応。
妻に話しかける人(状況を見て確認する人)が「感覚はありますか?」と足の先を触る。
「あります。」との妻の声が聞こえ(僕は必要書類に必要事項を記入中だった。)ホッとしたのを覚えている。
3人が妻の体が動かないようにそっと玄関先に置いてあるストレッチャーに乗せる。
ただそれだけの作業なのであるが、妻が痛がり、足を伸ばせずに玄関まで移動させるのでも不安がる様子もあった。
ストレッチャーに乗せ救急車に乗り込み、搬送先の病院を探す。
(その頃には救急車の音を聞いて近所の人も家の外に出ている姿が散見され、たまたま通りかかった近所の友人も心配そうに傍らにいてくれた。)
幸い近くの病院が受け入れオーケー(たまたま整形外科の先生が当直だった。)で病院に出発。
泰ちゃんと楓ちゃんはお隣さんでお留守番してもらった。
CT・レントゲンなどの結果、第12胸椎の圧迫骨折であることが分かる。
「全治8週間」という診断に事の重大さを感じつつも、麻痺などの後遺症の心配は無さそうとのことでホッとしたのは覚えている。
午前中いっぱい入院手続きやら準備やらで病院を往復した。
両家に報告のラインをしたら、すぐに菜生ちゃんのお父さんお母さんが来てくれ、東京から僕の母が月曜日から応援に来てくれることなった。
僕の母が5日間、その後菜生ちゃんのお母さんが1週間(1週あけてまた1週間)助けに来てくれて今があります。
お陰様でなんとか生活を続けることが出来ました。
菜生ちゃんは日曜日から入院して金曜日の夕方には退院しました。(トイレに1人で行けるようになったら退院しても良いよ。とのこと。病院にいても特別な処置はなくベッドの上で安静にしているというだけのことらしい。)
階段から落ちて4週間ほどになりますが、だいぶ元気になってきました。(1時間くらい立っているとしんどくなります。)
≪楓ちゃん保育中に大きな石が落ちてきて挟まる≫
4月11日(木)11時30分ごろ 楓ちゃん保育中に大きな石(推定200キロだそう)が滑り落ちてきて(1mくらいだろうか)下にいた楓ちゃんの上に被さるという事故が起きた。
幸い両脇に石がありその石に落ちてきた石が支えられ楓ちゃんは下敷きにならずに済んだ。保育スタッフ3人がいたが、大人3人でも持ち上がらずスタッフの1人が機転を利かせ車載工具のジャッキを使って石を持ち上げ、それでも引っ張り出すことが出来なかったので下の砂利を掘って何とか救出した。(その間5分程度だった)
救出されて抱っこしていたらウトウトしだして木陰に横にしたらしい。
間もなく救急隊が到着。
状況を確認し救急車よりもヘリコプターで運ぼうと近くの小学校の校庭に救急車で移動。
県内の病院でなく、隣県にある豊岡病院に運ばれることになった。
ヘリが飛び立つ直前(12時30分ころ)に僕もその校庭に到着。
定員の関係で僕はヘリコプターに乗ることが出来ず、「急ぎますから」とのことで楓ちゃんの顔も見ることが出来ずヘリコプターは豊岡の病院へ向けて飛び立った。
楓ちゃんの意識ははっきりしていたようで、しきりにベビーサインで「お父さん」「泰ちゃん」としていたそう。
スタッフに状況を聞き、現場も見させてもらい(その前に電話で状況の報告を受けたり、ヘリコプターのところで口頭で説明を受けたりしていたが、現場の石を見て事の重大さがはっきりと伝わってきた。)すぐに家に帰り入院セットなどをかばんに詰め込み豊岡に向けて出発(家から2時間くらい)。
その時、妻も地元の病院に入院していたので、僕の母に9か月の野ちゃんを託し、泰ちゃんの学校の送迎は友人に託し出発した。
母もまさか9か月の野ちゃんと泰ちゃんとその夜3人で過ごすことになるとは思いもよらなかった(というよりみんなが思いもよらなかったことが起きた。)だろう。
道中2時間、僕も楓ちゃんと対面することなく病院に向けて走っていたので色々なことが脳裏をよぎる。
病院まであと30キロというところで病院から連絡があった。「ダウン症であること。心室中隔欠損であること。胸の傷跡はそのときの手術のときのものであること。特にアレルギーはないという事。」を伝えた。「レントゲン・CTなどの結果、今はとりあえず左股関節の脱臼が見られる。その処置の為に眠り薬を服用させても良いか。」などのやりとりがあった。
その時に「娘の命に別状はありませんか?」と聞き「大丈夫です。」と言われひとまずホッとしたのを覚えている。
3時過ぎ病院に到着。
楓ちゃんと対面。脱臼の処置が済んだあとで、眠り薬でぐっすり眠っていた。呼びかけても起きなかった。顔・腰などに擦過傷、体中に鬱血症(赤い斑点)が出ていた。寝息をたてて寝ていた。
対面後、先生から説明を受ける。「CT・レントゲンなどの検査の結果、脳・骨・内臓に今のところ異常は見つかっていません。左股関節の脱臼がありましたので処置させてもらいました。1分もかからずにスッと処置を済ませることが出来ました。」との説明(救急)。
「状況が状況ですので1晩ICUに入院してもらうことになります。何もなければ次の日からは小児病棟に移れるかと思いますがだいたい3週間ほどの入院になるかと思います。」との説明があった(整形外科)。
あれだけの石が被さってきてよくもまあ脳・骨・内臓が無事だったと胸をなでおろした。
同伴してくれた幼稚園の園長先生にも状況を説明し、園長先生と別れICUに移動。
じきに楓ちゃんが目を覚ます。
楓ちゃんも楓ちゃんで大変なことがあったと(ドクターヘリで運ばれ、僕と対面するまで1人だった)神妙な面持ちで、しかしはっきりとした意識でサインを使って僕に話しかける。(特に取り乱して泣くというような風ではなく、冷静に色々お話出来た。)
最近よくするサインで「ちゃっしー(幼稚園スタッフ)」「さんぽ」と何度も何度もサインで伝えてきた。
左足は牽引された状態であった。
個室に移動し晩御飯が運ばれてくると食欲もあり8割ほどはモリモリ食べれた。
機嫌も良く、食欲もあり、意識もはっきりしていてホントに良かったと安心した。
歯を磨き、おむつを替えて、部屋を暗くして添い寝をしたら9時過ぎくらいには寝た。
寝たのを見計らってICUを出て(ICUは携帯の電源OFF)家庭に園に今の状況を報告。
翌日も7時前に起床。
相変わらず食欲もあり、モリモリ食べる。
3週間ほどの入院と言われていたが、残してきた子どもたちのこともあるし、出来れば地元の病院に転院したい旨を相談していたら、牽引も必要ないしベッドの上で安静にしているだけなので自宅転院も含め転院の承諾がとれて、入院24時間後にはICUを後にしてとりあえず地元の病院に転院することが出来た。
転院する際も安静に搬送する用の介護タクシーなるものがあったそうだが、それだとまた僕が車を取りに来ないといけないというようなこともあり、助手席をフラットにして安静に娘を運びますからということで、自家用車の助手席に楓ちゃんを乗せて病院を後にすることが出来た。
ちょうどお昼寝のタイミングだったので移動中の2時間はずっと眠ったまま移動できた。
午後2時過ぎ、地元の病院に到着。
そこで入院していた妻とも再会出来た。
まさかこんな形でこんな場所での再会になるとは思いも寄らなかった。
妻の背中も楓ちゃんの知らせを聞いた時(事故当時、妻の入院に搬送されるかもしれないとの連絡が妻にあった。)には痛みがなくなって病院の下まで移動出来たという。
楓ちゃんもベッドの上で安静にしているだけ、妻も自力でトイレに行ける、ということで金曜日の夜7時くらいには退院して自宅に帰ることが出来た。
これで病院との生活も一区切り。
目が回るような長い病院生活でした。
(楓ちゃんの心臓などの手術のときも長い病院生活だったが、それとはまた違ったなんと形容して良いか分からないが、「色々次々に起こり」大変だった病院生活でした。)
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