2015年3月26日木曜日

2週間

自宅に息子と帰ってきて2週間
郷里の母に助けてもらったり、近所の友人に助けてもらったりしながら時間を過ごすことが出来た。
今日、これから妻娘のところに合流します。

2人だと煮詰まってしまう関係も、他者がいることによって色々気持ちも紛れるところもあり、この2週間で本当に多くの子ども達と息子は時間を紡がせていただいた。

大好きなUTちゃんと
4月から一緒に幼稚園に
楽しみ 楽しみ

昨日は近所に越してくる家庭の子どもたちと午後の時間を過ごした
鶏と長いこと一緒に遊ぶ
子どもたちに、新しい柵作りを手伝ってもらったり、貝殻を砕いてもらったり
 
 散歩させていた鶏を子どもたちだけで捕まえて小屋の中へ
僕なんて、鶏を初めて捕まえた経験なんて大人になってからだったけれど、子ども達は勝手に上手に捕まえるようになっていた。
普段から弟のお世話になれているのか、小さい子への対応がとても上手なお姉ちゃん。
息子もすっかり心を許しこの笑顔。

息子と2人でいるよりも、子どもが他にいてくれるほうが勝手に子ども同士で遊んでくれて、むしろ家の仕事がはかどることもある。

この日も色々なことがはかどって気持ちよかった。

1日遊んで、昼寝もせずで疲れたのだろう。
8時半に解散・お開きになり、それから風呂に入り、9時前には布団に入ったが、絵本の2冊目の途中で健やかにお眠りに。
絵本で寝かすことが出来るとめちゃ気持ちいい。

娘は相変わらず一進一退
肺高血圧の所見も見られるようになって、検査・観察が続く

一昨日は在宅酸素の可能性も示唆された。
そりゃ、出来れば在宅酸素ナシで過ごせたらめちゃくちゃ嬉しいけれど

心臓の手術が終わり、ハイすっきり解決って訳にはなかなかゆかず、歯がゆいところもありますが、焦らず、慌てず、じっくり向き合っていければと思います。

娘からは本当にたくさんのことを教わります。

今晩1晩は娘との時間の予定。

金曜日に主治医の小児科の先生から話が聞けるみたいです。

良い話になればと思いますが。

手術から2週間。

なかなか当初の予定通りの退院とはいきません。

2015年3月22日日曜日

お彼岸

未だにお彼岸という概念が薄い僕ですが、昨日は春分の日
昼と夜の時間が同じであって、そんな日に春彼岸と秋彼岸があるんですね。

6時半
起きて息子と布団でウダウダしていると、となりのおばあちゃんがガラガラと玄関をあけて、「お彼岸だからおはぎを持ってきました。」と差し入れてくれた。

息子も大好きな隣のおばあちゃん
「ありがとう☆」
と嬉しそうに受け取っていました。

「ありがたいねぇ」と3歳になったばかりの息子
「有難い」という日本語を上手に使いこなして、とても嬉しく思いました。
色々なものは「当たり前」でなくて「有難い」。
ささいな事でも感謝の気持ちを持ちながら大きくなってもらいたい。という父の想い。

朝おはぎをいただいて、残ったものをお昼のお弁当に詰めて・・・
いや、本当にありがたいわぁ☆

息子と一緒にサドベリーへ
僕から離れてスタッフのお姉さんと一緒にお散歩
こりゃ春からの森の幼稚園も安心だわ
帰ってきたらズボンも、パンツも、長靴もビチョビチョ
「川冷たかったよぉ」とのことでした。笑

お兄さんたちのゲームにも参加させてもらいました。
ありがたい ありがたい
賞品でゲットしたシャボン玉で嬉しそうに遊んでいました。

1日疲れたのか、4時前、帰りの車で珍しく昼寝
2時間ほど寝ました。

夜が心配されましたが、9時前には就寝。
今日も良い1日でした。

娘の様子はぼちぼちだそうで、ちょっとずつ投薬している薬の量が減っていったらといったところです。
薬の量が減って、酸素吸入がとれて・・・

それで退院が見えてくるのかな。

予定よりもちょっと入院期間が伸びていますが、もうそろそろ

2015年3月21日土曜日

ただの焼きそばの予定が大ご馳走に

息子との2人暮らしが始まって6日目
息子もだいぶ父親との2人暮らしに慣れてきた反面、思い通りにいかないことにストレスも感じているんじゃないかな。

僕自身としては、息子と2人暮らしして、あれも出来ない、これも出来ないと「出来ない事」に目を向けるよりも、あれも出来た、これも出来たと「出来る事」に目を向けたほうが気持ちが楽になると感じている。

息子と一緒にすると、なにするにしても手間暇がかかるが、そうかといって、僕が勝手にあれもこれもと自分のペースでやろうとすると「一緒にやりたかった。」と泣きじゃくるし、挙句の果てには「最初から。」と過去に戻って一緒にやりたかったと不可能なことを強く要求してくるので、結局、手間暇かかっても、一緒になんでもやるほうがお互いストレスが少ないと感じている。

昨日は、日中1時間だけ非常勤で勤めている高校の勤務があり、近所の既に家族のようになっている双子ちゃんの家庭に息子を預かってもらった。

うちの他にも3家庭親子で遊びに来ていた。

お昼も一緒に食べ、夕方からはうちで子ども3人で遊び、そのまま夕食の準備、風呂、夕食、歯磨き、8時には解散して、8時10分には息子は就寝という最高の流れ。

 
ホットプレートでジュージューしたいという前日からの息子の訴え通り、ホットプレートを使った料理。
僕と2人だったら、畑の野菜(人参・白菜・キャベツ)しか入っていない肉なしの焼きそばになるところが、思わず大ご馳走。

お昼からの2家庭も引き続きで、4家庭で賑やかに大ご馳走をいただいた。

息子も、手作り餃子を嬉しそうにひっくり返し、嬉しそうに何個も何個も(僕の分まで)パクパク食べていた。

皮まで手作りの、最高級の餃子と比べて、肉なしのそしてインスタントの焼きそばを提供してしまってお恥ずかしい。

子ども達はでも美味しい美味しいっておかわりして食べてくれました。

普段食べ慣れないインスタントの味が美味しかったのだろうか。笑

妻娘と離れて6日目
メールや電話で様子を伺う。

いい日もあれば後退する日もあり。

一進一退の日が続き、なかなか素直に退院というふうにはならず、妻も娘の様子に一喜一憂。
僕も一緒に一喜一憂。

なかなかです。

近くにいればそれでも妻は楽になるのかなぁと思うと、近くにいてあげたい。
月曜日の仕事が終われば、時間が出来るのだが。

妻曰く、今日、明日が山場とのこと。
うまいこと事が好転すれば良いが。

妻にはあまり1人で抱え過ぎて辛くならないで欲しいなと思う。

多くの人が心配し、そして祈ってくれている。

大丈夫
大丈夫

きっと大丈夫


2015年3月18日水曜日

2人暮らしスタート

スーパーヘルパーが帰宅し、息子との2人暮らしがスタートした
洗濯物をたたむところから
バスタオルのちょっとシワが気になるみたいで、神経質にシワをとろうとしていました。
母親似
 
 
結果 こんな感じにたたんでくれました。
本人は大満足☆
 

近所の仲良し双子ちゃんと一緒に支援センターに出かけました。
絶好の外遊び日和。
熱中症が心配になるくらいの陽気でした。

小さい頃から仲良しで、気心が知れている同士、ずーっと3人(たまに4人)で遊びました。

中で遊んで、外で遊んで、中で遊んで・・・
おにぎりも外で食べると美味しいそう
 

食べて・遊んで・食べて・・・

1時半
帰りの車で昼寝させたい僕の思惑により、帰宅を促す
が、
「帰りたくない、まだまだ遊ぶ」「昼寝しない!」との3人。
遊びパワー全開!

それでも「じゃあうちで凧揚げしようか?」との僕の提案に「する!」
と凧揚げには前向きな3人。

なんとか帰りの車で寝てくれないかなぁ・・・との僕の淡い期待も
「昼寝しない!」「眠くない!」の車中大合唱。

寝る気配もなく、そのまま凧揚げに!
驚いたのは3歳の子どもたちが自分たちだけで凧揚げしたこと。
 
ちょっと、1人の子のお世話をしているスキに残りの2人で凧揚げ開始!
目がテンになりました。
 
たまたまかもしれないけれど、凄すぎる!
 

「順番 順番」と言いながら、随分長いこと凧揚げに夢中になっていました。
おにごっこしよー
散歩しよー
あ、小石だ。小石拾いしよー
子どもの遊びは尽きません。
「オオカミさんはあっちいけー」
と小石を豆がわり(?)にして山に向かって投げます。
子どもワールド全開。
 
オオカミさんは怖いもの、悪者のイメージでしょうか?
(車中3びきの子ブタの話で盛り上がってました。)
それと、この前の節分がリンクして。
 
ニホンオオカミが絶滅してしまったのが残念です。
 
家に入って、おやつ食べて、おもちゃで遊んで
大作が出来たのが嬉しかったみたいで、記念撮影。
 
子ども同士仲良く遊ぶ姿を見るのが親としては何よりですね。
息子大満足な1日。
 
双子ちゃんのおうちで晩ご飯とお風呂をいただき、夜7時には寝ました。
 
 




2015年3月14日土曜日

スーパーヘルパー

東京から母が応援に来てくれている。
僕が日中や夜仕事のときに上の子どもを見てくれている。
助かります。
初まっさん
僕は「まっさん」はあの金髪の女性のことをいっているのかと思っていましたが、その旦那さんが「まっさん」のようでした。
テレビのパワー絶大。
食い入るように見ています。

午前中は地域の支援センターに行って共に遊んだみたいです。

夕方
蜂獲りする友人からオオスズメバチの幼虫と蛹が届きました。
 
その友人からオオスズメバチの話や蜂の子の話を聞いたりしますが、まだまだ知らない世界は多いなぁって実感します。
 
超珍味をありがとうございます。
 
 
先週、近所の人に使わなくなった耕運機をいただきました。
今まで機械を使うことには若干のためらいがあったのですが、ちょっとした広さの土地をこれから扱って行くことになりそうで、上手く機械とも付き合っていこうと思います。
 
春ですね。
 
にわかに、ソワソワしてきました。
ひとつずつ、しっかりとやっていきたいと思います。


2015年3月13日金曜日

無事に手術が終わりました

あの大震災から4年
傍らで流れるテレビの情報はそれ一色、のような気がしていた3月11日

朝9時
娘の手術が予定通り始まり
そして
夕方4時
予定していた手術を滞りなく済ませ、娘の手術は終わった。

結果、胸を開けてみたら動脈管(体動脈と肺動脈を繋ぐ血管。生まれた時には自然と無くなるものが娘のは無くならずにいきていた。)が思っていた以上に大きくて、そこから肺へ大量に血液が流入。

その影響で心臓もだいぶ負担がいっていたみたいで、肥大していたそうだ。

予定していた切開では、中の様子が全然見えない程の心臓肥大だったということだから相当だったんだろう。

辛かっただろうな。

手術日近くには、だいぶおっぱいの飲みも悪くなっていたし、心なし顔色も優れなかった。
手術が1週間早くなってくれてそれでも良かったな、と思う。

動脈管をくくると心臓がスーっと小さくなったそうだ。

心室中隔欠損の穴も9ミリくらいじゃないかと言われていたのが15ミリくらいあったそうだ。
開いてみないと分からないことはまだまだある。

それでも、先生は、動脈管を閉じ、心房にあいている穴を閉じ、心室中隔の穴も閉じ、予定通り手術をしてくれた。

手術が終わりICUに運ばれた娘と僕たち夫婦は夕方5時ごろ対面できた。
麻酔で深く眠っている彼女の体にはたくさんの管が繋がれ、胸には切開の跡があり、
人工呼吸器で上下する彼女の胸はゆっくりと動いていた。

先生の手術の説明を聞き、手術は予定していたこと全て出来た旨、
術後の経過も今のところ良好
という話を聞いて、心底ホッとした。

あれだけの手術を、当たり前のように済まして来てしまう先生とその他の医療スタッフに敬服の想いだった。

難しいことを当たり前のようにこなす

素人が聞くと気が遠くなるような、そんなすごい手術ではあったのだけれど。

先生に委ねるしかなかった、僕たちとしては、本当に感謝の気持ちが止まない。
朝から、夕方まで娘の心臓の手術にかかってくれた。

僕たちはというと、家族待合室でただ待つことだけ。

娘の心臓の手術なのに、(だからかな)ただただ、他の人にそのことを全部委ねてしまう、この丸投げ感がすごかった。

分業化、専門化することによって、効率はあがる。
それぞれの負担も軽減される。

ただ、それも行き過ぎると、見て然るべきものが見えなくなったり、感じて然るべきものが感じれなくなったり、といったこともあるかと思う。

バランスなんだと思う。

今後もそのバランスには気をつけて生活していきたい。

今回のことで、ホントに普段知ること、感じることが出来ないようなことをたくさん経験させてもらっている。

すごい世界だ。


今、娘はICUにいる。
術前にだいぶ肺に負担がかかっていたみたいで、なかなか呼吸機能の回復に時間がかかっているようだ。
もうちょっと もうちょっと

がんばれ がんばれ

2015年3月8日日曜日

初節句

先月末から今月初めまで1週間という時間ではあったが、家族4人自宅で過ごすことが出来た。
娘は生まれて3ヶ月にして初めての自宅。
出勤して帰ってみると3人でお昼寝してたり。
そんな、当たり前のように思っていた風景が、ただただありがたく。

薪ストーブも7日間一度も火が落ちることなく、暖かい空間を提供してくれました。
薪ストーブありがたい。

お雛様は守り神だから
とお義父さんが立派なお雛様を贈ってくれました。

一番嬉しそうだったのは妻のなおちゃんでした。
楓ちゃんが大きくなって、一緒に飾り付けするのが今から楽しみなんだそうです。

ちょっと大変なこともあるけれど、それでもこうして家族が揃って生活出来るというのは何よりなことです。

18日に予定されていた手術が1週間早くなりました。
水曜日に病院の先生から連絡が入り、その日のうちに荷物をまとめて病院近くの実家に移動。
翌日は丸一日検査入院でした。

検査の結果は特に異常は無く、このまま感染症に留意しつつ手術当日を迎えれたらと思っています。

やっと やっと ここまでたどり着けました。

手術がゴールではもちろん無いけれど、とりあえず大きな節目ではあります。
医師の「手術したら確実に体は良くなります。」

との言葉に思わず涙がこぼれそうになりました。

この手術のことでもよく夫婦で話をします。
命について 医療について

ですが
「医療本来の姿は患者の苦しみを緩和することです」
との言葉にしっくりくるものを感じます。

今の娘はハッ ハッ ハッ と苦しそうに浅く短く呼吸します。
ミルクもグビグビとは飲めずにゆっくり時間をかけて飲みます。

それらの症状が手術をすることによってなくなるそうです。
それらが無くなるだけでどれだけ気持ちが救われることでしょう。

今使用している血中酸素濃度を測る機械も、呼吸補助機の使用も無くなるそうです。
今服用している4種類の薬の使用も無くなるそうです。

それだけでどれだけ気持ちが楽なことか。

素人が聞くとゾッとするような手術です。

心臓を3時間止めて、人工心肺で血液を回しながら、胸を開けて胸骨も開けて、心臓に穴を開けて内部の穴を閉じて・・・

そんなことをして良いのか

っていうような人智を超えるような手術

でも、その心臓外科の世界ではよくあることのようで。

僕たちにとっては世界がひっくり返るような、大きなことも、先生にとってはそれが日常という風に思うと、ホントに今お世話になっている先生には頭があがりません。

先生はざっと3000例くらい執刀しているそうで、単純に今まで3000人の心臓疾患を持つ子どもの苦しみを緩和してきたのだと思うと、「素晴らしい人だ。」の一言です。

日常的に生活していたら絶対に会えないような人と娘を通じて出会いました。

先生の仕事を見ていると、家族との時間だ生活だなんてものはとても望めないような、そんな仕事ぶりなんじゃないか。
(もちろん色々な働き方、家族のあり方というのはあるのだろうが。)

先生みたいな人がいるから、助かる命がある。
救われる家族がいる。

実際に執刀してくれる先生だけではない、今まで関わってくださった医師のみなさん、看護師のみなさん、友人のみなさん、家族のみなさん

みなさんのおかげで手術に向かえます。

あとは無事に手術の日をむかえ、手術が成功するのを祈るのみです。

合掌