2015年2月27日金曜日

みそ

この前の火曜日
恒例のみそ作りをしました。

年末から何かとバタバタしていましたが、無事味噌作りすることが出来ました。
今年の大豆のうち50%(2.5kg)は自家製の大豆を使うことが出来ました。

来年の味噌作りは、

コメ
麹菌
を自給出来たらなと思います。

どの程度、自給率をあげられるかな。

大人も一緒に大豆をミンチにしたり、コネコネしたりするのが面白かったようで、息子もずっと一緒に味噌作りを楽しんでいました。
 
また味噌が出来るのが楽しみですね。
 



3歳

息子が3歳の誕生日を迎えた。
3歳ということは、当たり前のようだが生まれてから3年の月日が流れたということだ。

いつも思う。
大きくなったなぁ・・・と。

もちろん、これからも大きくなっていくハズだからその都度「大きくなったなぁ」と感慨にふけるのだろうか。

いつまで

僕はもうじき32歳だが、僕の親も未だに「大きくなったなぁ」なんて感慨にふけるのだろうか?笑

妹が生まれて、そして入院や通院の多い生活を送る日々の中、赤ちゃん返りするお兄ちゃんだが
「今日から4人で生活だから、協力してね」
と伝えると割と素直に
「うん」
と言って、協力的になってくれたりもする。

出来ることも増えて、妹をよしよしと面倒を見てくれたり、オムツやガーゼやおまるや、色々気をきかせて取ってくれたりもする。

日本語が通じて、意思の疎通が出来て、とても面白い。
こんな日が来るなんて、生まれた時には考えられなかったけれど、3年という月日はすごい。

そう、昨日からとりあえず1週間ということで、4人で自宅に戻り生活が始まっている。

昨日はお昼寝なしで1日過ごす
7時には眠たくなって、
「歯はお母さんに磨いてもらう」
と駄々をこねながら堪えきれずに倒れ、そのまま就寝。笑
 
まだ昼寝があったほうがリズムよく生活出来るのかな。
 
でも、おかげさまで昨日は平穏な夜の時間を過ごすことが出来ました。
 
何かと大変なこともあるかもしれませんが、それでも家族揃っての生活が愛おしく何よりだなと感じます。
 
ありがたい。
 
2人子どもが寝ている姿を見ると、まだ慣れずになんだか不思議な気分です。


2015年2月20日金曜日

事件・事故とか

テレビや新聞を見ると痛ましいやりきれないような事件・事故・事象が多いですね。
もちろん喜ばしいニュースもたくさんあるのですが。

学生時代、ニュースになるのはそういった類のもので、どこかのお母さんが自分の子どもに授乳しているような、そんなピースフルな話題はニュースにはならない・・・。

みたいな話を聞き、良く覚えています。

2歳10ヶ月の男の子が入院中、麻酔薬を大量に投与されて亡くなった疑いのある事故(事件)について昨日報道されているのを目にしました。

必死に言葉を選びながら、溢れる感情を抑えながらテレビの会見に答える両親の姿がありました。
涙が止まりませんでした。

同じような境遇

お医者さんを信じて、親身になってくれるお医者さんや看護師さんに感謝の念はやまないけれど、治療について完全に僕たちの手を離れて、お医者さんに委ねることしか出来ない状況の中で、様々なことが起こりうる可能性と、それによる不安とはやはりあります。

先日、ハンガリー人の友人に久しぶりに会って、話をしました。
娘の話になったときに、情報は集めている?色々なケース考え方があると思うから、情報は集めた方が良いよ。とアドバイスをいただきました。

日本語のサイトは色々見ていたのですが、英語のサイトは見ていませんでした。

手術は手術だと思っていますが、色々な考え、ケースを知ることは、それだけでも損ではないと思いますので、最近は英語のサイトも見たりしています。

ホントに色々な人がいて、ケースがあって、

出生前診断でダウン症の疑いがあると言われて悩んでいるお母さんの投稿も多々目にします。
でも、やはりダウン症の子を持つ親の多くは、「優しい子」「エンジェルのような子」「無垢」など色々な表現をされていて、僕自身も娘がダウン症であるということが特にどう、ということはないのですが、今は無事に心臓の手術が済めば・・・という想いです。

来週、手術を予定している病院の先生の受診をうける予定です。
その結果次第では、家族が家に帰ってきて共に生活する時間が出来るかもしれません。

どうなるかな。

大変だと思いますが、4人での生活が始まればいいな

今はそんな気持ちです。



2015年2月15日日曜日

にわとりさん

我が家の裏でにわとりさんを飼っている。
ボリスブラウン7羽
烏骨鶏2羽
(9羽で越冬中。春にはヒヨコさんを孵せたらいいなぁと思っています。)

娘のことで妻の実家に行くときは2,3日分の餌をドサっとあげって家を留守にしていた。
先週、今週と出かけずに毎朝決まった時間に餌をあげるようにしていたら、お休みしていた卵を産みだした。



やっぱりにわとりさんも、安心感を感じると卵を産みだすのでしょうか。
近所の人も、我が家のにわとりさんにと、いりご(こごめ)を分けてくれます。
ありがたいことです。
昨晩は帰宅したら、玄関先に牡蠣の殻がおいてありました。
近所に住む餅屋さんからだと思います。
僕は、家の薪ストーブに溜まった灰をその餅屋さんに持っていきます。
トチのアク抜きでしょうか。
 
色々物物交換って面白い。
田舎は豊かです。
 
妻子が、24日の病院の受診が終わったら帰ってくる予定です。
娘の状態が第一ですが、大変でも「日常」が戻ってくるのはありがたいことです。
 
妻のお父さん・お母さんには大変お世話になっています。
もうしばらく。
 
あと1週間。


 


2015年2月12日木曜日

健康保険制度とか


そりゃあ健康に越したことはない
健康第一

ただ、娘が生まれてこれほど健康保険制度であったり、医療費助成制度がありがたいと感じたことはなかった。

妻ともよく話をする。
2人とも途上国での生活経験があるのだが、
「これが途上国でのことだったら助かっていなかったかもしれない・・・。」

それほど、日本の医療の恩恵にあずかっているし、日本の医療制度に助けられている。
(僕が以前住んでいたフィリピンでは、何か事故があったり、病気をしただけで、一家が離れ離れになる、といったケースをよく見かけた。)

自治体によって違うそうだが、今僕たちがお世話になっている自治体では小児医療費助成事業というものがある。

県内に住む子どもが、県内の医療機関で受給資格証と保険証を提示して受診すると、負担額が通院の場合は日額530円、入院の場合は日額1,200円までになる。

というものだ。

おかげさまで健康に生まれ育った僕たち夫婦は毎回健康保険料を支払う際に「健康保険って高いよね・・・。」なんて言いながら納めていたこともあったが、いやぁ今回のことで十二分に保険の威力であったり、日本の保健医療の水準の高さに驚かされている。

本当にありがたい。

手術にあたっては特に妻の方に葛藤がなかったわけではなく、今も少なからず葛藤はあるのだと思う。

昔だったら助からなかったような疾患を、開胸手術などを施して、心臓の外科手術をして・・・神の領域なのじゃないか。
助かったとして、娘が快適に暮らせる社会で果たしてあるのか・・・

妻は折に触れて、自分に何かあったときには、過度な医療行為で延命措置をしてくれるな

といったことを言う。

妻と話していて僕の心も動くこともある。

ただ、僕は娘の心臓の疾患を医師から聞かされた時から、
「手術できるなら、手術して娘が少しでも僕らと変わらぬような生活が出来るなら手術して欲しい。」
と願った。

僕たちは前にお腹に宿った子を亡くしている。
生まれてくる前に亡くなってしまった。
僕はその子どもに対して、何もしてあげることが出来なかった。

娘は染色体異常という特性を持ちつつも、元気にこの世に生まれてきてくれた。
(一般的にこのような異常を持っている子は、お腹の中にいる段階で亡くなるケースも多いという。)
生まれてきたからには、親として出来うること全てをしてあげたいと思った。

心臓のことは僕たち親の範疇を超えており、お医者さんを信頼し、お医者さんにお願いしながら、みんなで支え合い、解決していく。

心臓のことが一段落して早く、一緒の生活がまた始まればいい。

昔は、障害を持って生まれてきた子のことを「福児(ふくご)」といったそうだ。
家族みんなで支えあって、一生懸命面倒見ることによってその家が栄えると言われた。

娘が生まれて、家族、親戚、友人の絆が深まったように感じている。
娘は生まれてまだ3ヶ月経たないが、既にとても大きなものを僕たちにくれている。

どうもありがとう。






2015年2月10日火曜日

出生前診断

12月17日午後
娘はチアノーゼになり、病院に緊急搬送された。
僕と息子は、実家に残る妻娘と別れて、自宅に帰っている最中のことであった。
帰宅して折り返した電話口の妻の声は震えていた。
「楓ちゃんが、楓ちゃんが・・・」

そのときの胸のざわめきは忘れない。
とんぼ返りする僕と息子。
あいにくの吹雪。
自宅に帰るのもやっとだった道のりを、また折り返す。
いつも通る道は通行止めで、もう一つの道を通る。
普段なら2時間程度の道のりが、4時間近くかかった。

2歳の息子もなんだかただならぬ空気を察知したのか、神妙に車の後部座席に座っていた。

夜11時
病室の妻と娘と対面

泣き崩れる妻と、呼吸補助ヘルメットをかぶり目を閉じ眠っている娘。
シューシュポ シューシュポ 
となるヘルメットの音が病室に響く

ことの深刻さに、「僕はここで冷静でなければいけない」という想いが、自然と僕を支えていた。

「出生前診断」という言葉がある
お腹の羊水から、お腹の赤ちゃんに異常がないかどうか検査するものである。

僕がその言葉を初めて聞いたのは高校2年生のとき
現代社会という科目に教育実習の先生がやってきてその話をした。
「ノーマライゼーション」というテーマの中で出生前診断の話が出てきた。

僕はその先生はとても印象に残っている。
前髪パッツンのサラサラヘアで風貌からして特徴のある先生だった。
秘めた想いがあり、一生懸命伝えようとしてくれるなかにユーモアもあり。
その先生は
「もし、妊娠初期にお腹の赤ちゃんに障害があることが分かったとしてあなたなら産みますか?」

という質問をクラス42人の生徒全員に聞いた。

「産む」
「産まない」

半分が答えたあたりで僕の番が回ってくる。
ずっとずっと一生懸命考えたけれど、答えはわからなかった。

僕は
「分かりません」
と答えた。

その授業の後、友人から「分からないって答えはないだろう。」って言われたが、当時はどう考えたって分からなかった。

娘の出産間際になって、大野明子さんの「選ばないことを選ぶ」という本と出会い夫婦で読んだ。

大野さんは東京大学で無機地球科学を専攻し博士課程を修了した後、自分の出産、育児の体験から産科医を志し、そして自分で「お産の家」という出産施設を作ってしまうというその世界では有名な人だ。

本の概要としては、「奇跡のような縁で生まれ大きくなり、出産に至る。どの命も素晴らしく障害があってもなくても、その子の存在はただそこにあるだけで素晴らしい」というような、生そのものを美しく肯定する本だった。

その本を読んで妻は嘘ではなく本当に
「この本を読んだらダウン症の子が欲しいとさえ思った。」
と言っていた。

生まれてみたら本当にダウン症の子どもで僕たちは驚いたものだ。

さて、それでも実際に生まれてみると色々な情報を知りたくなるもので、色々な本を探しては読んでみた。
アマゾンのブックレビューをひらいてみると、大野さんの本は「障害があるっていうことを直視していない」というようなレビューも多々有り、評価は低め。

色々、アマゾンの評価を見ながらそれ関係の本を読みあさる日々が続いた。
どの本もそれなりに勉強になったり、感じることもあったが、やっぱり、大野さんの生と向き合う姿勢というのは素敵な何か、これから大事にしていきたいと思うような1つの姿のような気がしている。

「出生前診断」
ある一つの特徴を排除するような社会よりも、多様なものを包み込める懐の広い社会であって欲しいと願うとき、出生前診断で生まれてくる赤ちゃんを選別するというのはやっぱり抵抗がある。

娘を授かってまた強く思うことがある。

子どもを授かるのが当たり前ではない
みんながみんな元気に生まれてくるというわけでもない
元気に生まれてきても病気や怪我で障害をもつこともある

今まで「あたりまえ」と思っていたことの一つ一つが実は「ありがたい」

娘を授かって今までと風景の見え方が変わった。

この感覚はいつまでも大事にしたい。

「ありがたい」ことが「あたりまえ」にならないように。

2015年2月9日月曜日

手をしゃぶる

この前の金曜日、心臓のカテーテル検査が無事に終了した。

娘は生まれながらにして心臓に穴があいていた。
心室中隔欠損症(VSD)
今まで聞いたこともないような病名だったが、不思議と今は耳に馴染む。
代表的な先天性心疾患で1000人に3人の割合で起こるそうだ。

チアノーゼで病院に運ばれたときは、全然知識とか無いものだから有機農業していて良くきく「ブルーベビー」なんかを疑ったものだ。今にして思えば的外れも甚だしくお恥ずかしい。

入院後に色々検査するなかで、心臓エコーをとった際に担当医に
「心臓に穴があいています」
と言われ、普段小さい僕の目はその時2倍近く大きくなったのではないか、というくらいの驚きだった。
続けて
「心臓に穴があいている、その背景にあるものも疑っていく必要がありそうです。」
と、言われた時に初めて
「染色体異常」
という言葉が頭に浮かんだ。

それくらいの感度だったわけである。

娘は、息子と同じ助産院での出産だった。
生まれてきた際の顔が少し「?」と感じたのは確かだったが、それでも「?」と思ったのはその時だけで、それ以降は気になることはなく、息子のときと同じように助産院で時間を過ごし、5日後には退院して妻の実家で時間を過ごす。

娘の時も助産師さん5人に立ち会っていただいた。
経験豊富な助産師さんたちだから、共に5日間過ごす中で「もしかしたら」という想いはあったそうだ。
だがこういった場合、不用意に母の不安を煽るようなことは言わずに、まず母親が子どもに愛着・愛情を持つことが第一なのだそうだ。

おかげで、僕たちはなんの疑いも持たず、幸せな3週間を妻の実家で過ごすことが出来た。

途中で心臓の穴が見つかっていたら、助産院では産めなかっただろうし、早産でも産めなかった。
ギリギリのめぐり合わせで、僕たちはまたしても幸せな出産の機会に恵まれた。

今でも、その思いは変わらず、あの出産、出産後のあの3週間があって良かったと切に思う。


娘が生まれて2ヶ月ちょっと
心臓カテーテル検査の際にヘモグロビン数が通常の半分程度だったこともあり、120mlの輸血をした。
すると、肌の血色も良くなり、なんだか元気になった。
今では真っ赤な顔して泣くそうだ。(僕はまだ見ていないが・・・)
赤ちゃん

検査後2日、自分で自分の手をしゃぶろうと頑張っている。
息子にもそんな時期があったと懐かしく、妻から送られてくる画像に目を細める僕でした。








はじめに

みなさま

こんにちは
いつも温かく見守って下さりありがとうございます。

過去にもブログをしていました。
ブログを通して抱く葛藤から一時、ブログをやめ、遠ざかっていましたが、状況と気持ちが変化し再開することにしました。

昨年暮れに授かった娘が21トリソミー(ダウン症)と診断されました。

娘がチアノーゼで死の境の中病院に緊急搬送されたことや、21トリソミーと診断されたそのことは、僕に全く新しい世界の扉を開かせてくれました。

ブログを再開することによって以下の2点を期待するものです。

1.離れて暮らす家族、友人への近況報告。

2.過去21トリソミーを持って生まれてきた子どもたちの親が、子の為に勝ち取ってきたものに感謝しつつ、これから生まれてくるであろう21トリソミー(またはそれ以外の社会的弱者、マイノリティー)の子どもたちやその親の小さな力にでもなればという想い。そしてその想いがこのブログを通じて繋がっていけばと期待しています。

ブログの調子としては、そんなに肩肘はらずに、普段の我が家の日常や想いをさらっと綴っていけたらと思っています。

過去もブログを通じて色々な出会いに恵まれました。
今回もそのような出会いを期待しつつ。

ふとした時に覗きに来てください。

どうぞよろしくお願いします。