ボリスブラウンのメスは茶色、オスは白色
でも、そこから生まれた子どもは、そうとは限らない
ボリスブラウン、卵は茶色
でも、そこから生まれた子どもの卵は白色だったりする。
最近はよく卵を産むようになったし、烏骨鶏も卵を産んでくれる。
ありがたいなぁ。
職場で今ニワトリの卵を温めているが、うまく生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。
生まれても、どんな子どもが生まれてくるか分からない。
たかがニワトリの卵、されどニワトリの卵
色々なことを教えてくれます。
繋がる命
茶色の卵を産む鶏の卵から生まれた鶏の卵は白色になりました。
遺伝子って面白いなぁ。
日本の田舎での暮らしを淡々と綴っていくブログです。 父母と4人の子どもたち。 長女はダウン症。 長女が生まれた時に、ダウン症の子を持つ親のブログを読んだりした時期がありました。 周りの子と比べて大変だなぁって思う事もありますが、楽しい事もたくさんあります。 長女は6歳になりました。
2015年4月29日水曜日
森のようちえん
息子が4月から通い始めた森のようちえん
月に1回程度、保護者も保育に参加という、共同保育のエッセンスもあるようちえんです。
昨日月曜日は我が家の当番
僕も休みだったので、娘も連れてみんなでようちえんに行ってきました。
朝ご飯をお母さんと作って
出発までの時間は、最近気になっている縁側への踏み台の節取り。
節をのこぎりでギコギコ
この日は麻畑にて、麻の種まきでした。
朝の会が終わって、麻畑まで歩いて移動。
さっそく仲良し双子ちゃんと水路で遊んでびちょんこでした。
嬉しそう☆
たらふく水遊びしたあとは、ちゃんと自分で着替えていました。
シートを下に敷いて、自分で汚れない工夫(?)をして着替えていました。
濡れたらちゃんと自分で着替えるもんですね。
濡れた服はビニール袋に入れてカバンにしまっていました。
あぁ 大きくなったなぁ。
月に1回程度、保護者も保育に参加という、共同保育のエッセンスもあるようちえんです。
昨日月曜日は我が家の当番
僕も休みだったので、娘も連れてみんなでようちえんに行ってきました。
朝ご飯をお母さんと作って
出発までの時間は、最近気になっている縁側への踏み台の節取り。
節をのこぎりでギコギコ
この日は麻畑にて、麻の種まきでした。
朝の会が終わって、麻畑まで歩いて移動。
さっそく仲良し双子ちゃんと水路で遊んでびちょんこでした。
嬉しそう☆
たらふく水遊びしたあとは、ちゃんと自分で着替えていました。
シートを下に敷いて、自分で汚れない工夫(?)をして着替えていました。
濡れたらちゃんと自分で着替えるもんですね。
濡れた服はビニール袋に入れてカバンにしまっていました。
あぁ 大きくなったなぁ。
県知事の許可をもらって、麻栽培免許を取得した友人の麻畑です。
今日はその種まき
滅多にない体験をさせてもらっています。
僕が学生時代影響を受けた、ナマケモノ倶楽部代表の辻信一さんも一緒に種まきしました。
なんだか信じられない、不思議な感じ。
ホントに親子で、多様な人と交流させてもらい、親も子も良い刺激をたくさん頂きながら贅沢な時間を過ごさせてもらっています。
娘も酸素ボンベ持参で参加。
心地よい木漏れ日の下、マイナスイオンを存分に感じていたのではないでしょうか?
ちょっとずつ、外の空気にも触れさせてあげたい。
自然が与えてくれる影響ってきっとあるから。
お昼を食べて、しばらく自由に遊んだあとは、木陰の下で絵本タイム。
みんな耳を澄まして聞いています。
もうすっかり同盟を組んでいる3人。
ようちえん入る前から仲良くさせてもらっていましたから。
でも、ちょっとずつ他の子たちとも交流の輪を広げていって欲しい。
町ではこの日30度近くまで暑かったそうですが、山の上はとても穏やかな気候で気持ちよかったです。
この辺はやっと桜が散りかけてきたくらいでした。
素敵なようちえんです。
朝はグズって行きたがりませんが、帰ってくると楽しそうにその日の報告をしてくれます。
今日はクッキングの日だったようですが、「お味噌汁がめちゃくちゃ美味しかった!」だそうです。
2015年4月25日土曜日
たぬき crisis
ヤツが帰ってきた
一昨日の朝5時。
屋内で仕事していると、外からニワトリの助けを呼ぶ声
さっと、ヤツのことが脳裏をよぎる
昨冬、我が家の鶏を2羽襲ったあのたぬき
ダッシュでニワトリ小屋に行ってみると、まさに咥えて逃げ去ろうとしているところだった。
僕の行動にもはや躊躇はなかった。
棒を片手に柵の中へ
迷いのない殺気を放っていたのだろう。
たぬきも必死だったかもしれない。
ニワトリを置いて逃げ帰った。
間一髪。
ニワトリの数を数えても減っていない。
間に合ったのだ。
狙われたのは雄鶏。
大きくて美味しそうだったのか、はたまた弱そうな雌鶏を狙おうとしたら雄鶏が助けに入ったのか。
ただ、名誉の負傷とでもいおうか、自慢の尻尾はすべて食われて無くなっていた。
でも元気に鳴いていたので一安心。
小麦も大きくなってきた。
今年は麦を刈り取ってから、そのあとに稲を植えてみようかと思っている。
うまく出来るかな。
実験。
と、ここまでが、一昨日までの話
今朝、続きがありまして、一応落ち着くまで小屋を閉めておこうと思ったのだが、それをぬかっていて夜間の間にヤツに2羽も持って行かれた。
しかも1羽は、卵を温めていた烏骨鶏。
あと3週間もしたらひよこになると楽しみにしていたのに。
悔しい。
守ってあげれなかった。
もう僕に迷いは無い。
ヤツは冬毛が抜けて夏毛に変わっていた。
くそぉ
腹が立つ
そしてすごく残念。
一昨日の朝5時。
屋内で仕事していると、外からニワトリの助けを呼ぶ声
さっと、ヤツのことが脳裏をよぎる
昨冬、我が家の鶏を2羽襲ったあのたぬき
ダッシュでニワトリ小屋に行ってみると、まさに咥えて逃げ去ろうとしているところだった。
僕の行動にもはや躊躇はなかった。
棒を片手に柵の中へ
迷いのない殺気を放っていたのだろう。
たぬきも必死だったかもしれない。
ニワトリを置いて逃げ帰った。
間一髪。
ニワトリの数を数えても減っていない。
間に合ったのだ。
狙われたのは雄鶏。
大きくて美味しそうだったのか、はたまた弱そうな雌鶏を狙おうとしたら雄鶏が助けに入ったのか。
ただ、名誉の負傷とでもいおうか、自慢の尻尾はすべて食われて無くなっていた。
でも元気に鳴いていたので一安心。
小麦も大きくなってきた。
今年は麦を刈り取ってから、そのあとに稲を植えてみようかと思っている。
うまく出来るかな。
実験。
と、ここまでが、一昨日までの話
今朝、続きがありまして、一応落ち着くまで小屋を閉めておこうと思ったのだが、それをぬかっていて夜間の間にヤツに2羽も持って行かれた。
しかも1羽は、卵を温めていた烏骨鶏。
あと3週間もしたらひよこになると楽しみにしていたのに。
悔しい。
守ってあげれなかった。
もう僕に迷いは無い。
ヤツは冬毛が抜けて夏毛に変わっていた。
くそぉ
腹が立つ
そしてすごく残念。
2015年4月21日火曜日
あっという間に春
地域の川沿いの桜を見に行こうかといった時にはもう散りかけ
気づいたら、息子はかっぱを着て、リュック背負ってようちえんに通うようになり
雨続きだった最近、晴れ間を狙ってジャガイモを植え
種芋を買いにいったら、お気に入りの「きたあかり」は売り切れていて、「だんしゃく」と「とうや」とうちで芽をだしていたジャガイモを植えた。
鍬の柄が折れたので、切ったら息子にちょうど良い長さだった。
一昨日から通院の為に、僕を除くメンバーは妻の実家へ
気づいたら、息子はかっぱを着て、リュック背負ってようちえんに通うようになり
雨続きだった最近、晴れ間を狙ってジャガイモを植え
種芋を買いにいったら、お気に入りの「きたあかり」は売り切れていて、「だんしゃく」と「とうや」とうちで芽をだしていたジャガイモを植えた。
鍬の柄が折れたので、切ったら息子にちょうど良い長さだった。
一昨日から通院の為に、僕を除くメンバーは妻の実家へ
妹を可愛がるお兄さんで良かった。
今日3人が家に帰ってくる予定。
検査の結果も良好。
肝臓の数値が気になっていたが、薬を変えたら正常範囲内の数値になっていたようだ。
一安心。
数字、評価ってすごく心を縛られてしまう。
こわい こわい
送られてくる写真を見ながら家族を想う
いない間ゆっくりさせてもらった分、帰ってきたら妻にもゆっくりしてもらおう。
と心に秘める。
僕は今日久しぶりに英語で発表。
オーストラリアから大学生15名。
ドキドキ
早く終わって欲しいなぁ。
2015年4月15日水曜日
コルセット
娘退院から19日
元気に安定した生活を送っています。
おっぱい、ミルクは良く飲むし、呼吸も落ち着いているし、ウンチが自分では出にくくなっていて綿棒刺激をしながら出してはいるものの、とても落ち着いた日々を過ごせています。
手術前はハッハッハッと短く浅い呼吸で、ミルクをあげてもすぐにむせたり、飲めなかったのが、今ではそれが無い。
それだけでなんと幸せなことだろう。
まだ、酸素吸入は24時間だし、血管拡張剤や利尿剤などの薬は服用しているものの、生活が安定するだけでとても精神的に楽になる。
さて
元気に安定した生活を送っています。
おっぱい、ミルクは良く飲むし、呼吸も落ち着いているし、ウンチが自分では出にくくなっていて綿棒刺激をしながら出してはいるものの、とても落ち着いた日々を過ごせています。
手術前はハッハッハッと短く浅い呼吸で、ミルクをあげてもすぐにむせたり、飲めなかったのが、今ではそれが無い。
それだけでなんと幸せなことだろう。
まだ、酸素吸入は24時間だし、血管拡張剤や利尿剤などの薬は服用しているものの、生活が安定するだけでとても精神的に楽になる。
さて
この松葉ガニのようなピンクの物体はというと
娘のコルセットであります。
胸骨を手術で切っているので、3ヶ月くらいを目処にコルセットの着用があるみたいです。
しないと骨を切ったところが盛り上がってきてしまうみたいです。
ピンクで可愛いけれど、戦闘民族サイヤ人の戦闘服を連想させたりします。
祖母から子ども2人に可愛らしい服が届きました。
ありがたい。
電車好きの息子はどストライクだったみたいで、毎日嬉しそうにシャツやズボンを履いていきます。
4人での生活が続き、4人家族になったんだなぁとふとしたときに感じるようになりました。
そして娘を抱いている時に、「あっという間に大きくなったような」そんな気分になります。
怒涛の4ヶ月でした。
これからもしばらくは定期的に病院通いでしょうが、それでも日常が戻ってきて嬉しい限りです。
ちょっとずつ薬の量も減っていくだろうし、酸素もいずれ取れていくんだろうと期待しています。
4人で気兼ねなく外出できるようになったらいいなぁ。
(人間すぐに欲が出てきてしまいます。)
2015年4月13日月曜日
入園式
息子
3歳と50日
今日晴れて幼稚園に入園しました。
息子が明日から通う幼稚園は、森のようちえんで園舎は無く、毎日森の中をお散歩するという幼稚園です。
3歳と50日
今日晴れて幼稚園に入園しました。
息子が明日から通う幼稚園は、森のようちえんで園舎は無く、毎日森の中をお散歩するという幼稚園です。
あいにくの雨模様
フィールドの1つにテントを張って
代表の挨拶よりも足元の泥の方が面白いみたいで、足でコネコネ
記念品の授与
恥ずかしがる息子
家族紹介
娘も酸素ボンベと一緒に式に参加出来ました。
式だけ一緒に参加させてもらって、僕と娘は帰宅
どこへ行くのも酸素ボンベと一緒で不自由なこともやっぱりあるけれど、
それでも、酸素ボンベと一緒だったらこうして一緒に外に出かけられるようになって嬉しい。
息子はついに入園。
明日から1人で森を散歩。
どんな顔して家を出て、どんな顔して家に帰ってくるのでしょう。
2015年4月3日金曜日
久しぶりの外(鶏)
すっかり外は春
春うらら
晩秋にかけてたぬきの侵入を許していた鶏の運動場。
何度も策を講じても侵入して来、やがて雪が積もり、結局ひと冬鶏は小屋に閉じ込めて飼育した。
雪がとけて、柵を新調した。
柵下段を全面金網にし(一部木柵)、補強した。
金網も食い破って侵入するで
という話も聞いたことがあるが、とりあえずこれで様子を見ようと思う。
鶏たちはのびのびと外を散歩
気持ちよさそう。
虫を食べ
草を食べ
卵も良く産むようになりました。
ずっと気になっていた心のしこりが1つとれてスッキリしました。
うちの鶏たちにも色々我慢を強いた冬でした。
春ですね。
春です。
ちょっとずつ春を楽しめたらと思います。
ちょっとずつ
ちょっとずつ
春うらら
晩秋にかけてたぬきの侵入を許していた鶏の運動場。
何度も策を講じても侵入して来、やがて雪が積もり、結局ひと冬鶏は小屋に閉じ込めて飼育した。
雪がとけて、柵を新調した。
柵下段を全面金網にし(一部木柵)、補強した。
金網も食い破って侵入するで
という話も聞いたことがあるが、とりあえずこれで様子を見ようと思う。
鶏たちはのびのびと外を散歩
気持ちよさそう。
虫を食べ
草を食べ
卵も良く産むようになりました。
ずっと気になっていた心のしこりが1つとれてスッキリしました。
うちの鶏たちにも色々我慢を強いた冬でした。
春ですね。
春です。
ちょっとずつ春を楽しめたらと思います。
ちょっとずつ
ちょっとずつ
戦後70年か
テレビや新聞を見てみると「戦後70年」という単語と出会う。
あの大戦から70年か。
もちろん僕は戦争体験者ではなく、僕の祖父母の代の人たちがあの戦争を体験した世代だ。
学校で習った。
テレビでも見たことがある。
本でも読んだことがある。
修学旅行で広島にも行った。
ただ、祖父母から当時の話を聞いてもそんな具体的な話は聞けてない。
きっと聞くほうの準備も出来ていなかったからというのもあると思う。
体験してない人には
言っても伝わらない
分かってもらえない
もしかしたらそんな想いもあるのかもしれない。
僕はもちろん、戦争から帰ってきた肉親を迎えたことはない。
だが、祖母は戦地から帰ってきた祖父を迎えている。
どんな気持ちだったのだろうか。
祖父はどんな様子で帰国し、祖母や家族と対面したのだろうか。
父方の祖父は激戦地から生還したと聞いている。
小さい時その話を聞いてもピンと来ないものもあった。
きっと今もそんなにピンとも来てないのかもしれない。
先週27日金曜日、妻娘が17日間の入院生活(11日が手術)を終えて退院した。
一進一退の入院生活
お腹が空いて泣き喚く我が娘に、水分制限があるからと授乳してあげることも出来ずに、抱っこしてあやすが、娘は泣き過ぎでチアノーゼになるまで泣き、仕方なく薬を飲ませて寝かせるみたいな時期もあったそうだ。
もちろん、病院の先生は色々な症例を経験し研究し、その時考えうる最善の手を打ってくださっていたことと思う。
ただ、1日の間のちょっとした時間だけ往診し、血液検査、エコー、レントゲン、心電図の様子から処置を決定する医師と、1日中その医師の指示に従って、いくら娘が泣こうが、母乳を要求しようが、それに応えることが出来ずに付き添うことしか出来ない妻。
思考を停止して、医師の言うことに素直に従っていたらどんなに楽だろう
ただ、24時間娘と一緒にいて様子を観察して、医師の説明から色々自分で考えて、インターネットでも色々検索して、医師にめんどくさい母親だと思われながらも医師に相談して、娘が楽になるように楽になるようにと母親視点で考え行動することがどんなに大変だったか
何度も、思考を停止してただ従うだけがどんなに楽だろう、と思ったという。
だが、最終的な責任は母親である自分にあって、何かあっても医師が責任を取るわけではないということから、一生懸命娘と向き合い続けた17日間だったと思う。
帰ってきた妻は、グッタリしていた。
何度も涙を流しながら「辛かった。」「疲れちゃった。」と言っていた。
僕は今これを僕の限られた想像力で書いている。
17日間という期間であったが、それがどれくらいのものを彼女の身体に蓄積、沈殿させていったか。
途方も無い経験をしたことだと思う。
こんな事を機に、僕も色々な書籍をとってページをめくってみたりもする。
今は前よりも想像力が働く。
本当に人生は様々だ。
何回も言うかもしれない。
今まで「当たり前」と思っていたことは、全然「当たり前」でなく「有難い」。
退院後「私、鬱かもしれない。ノイローゼかもしれない。」と弱音をはく妻に
僕は戦地から帰還しPTSDになる人、兵士を連想した。
思考を停止させて、自己防衛に走る脳と身体。
大げさに聞こえるかもしれないが、本当によくよく考えていかなくてはいかないことだと思った。
戦後70年か
今も世界を見渡すと戦争・紛争は絶えない。
ここまで社会は成熟(?)しても戦争・紛争は無くならないものか
人間は賢いのか、愚かなのか
(最近の日本政府の動向も気になる)
イスラエルに住むお母さんの言葉が蘇る
「この子が大きくなるまでに兵役がなくなれば良いのに」
あの大戦から70年か。
もちろん僕は戦争体験者ではなく、僕の祖父母の代の人たちがあの戦争を体験した世代だ。
学校で習った。
テレビでも見たことがある。
本でも読んだことがある。
修学旅行で広島にも行った。
ただ、祖父母から当時の話を聞いてもそんな具体的な話は聞けてない。
きっと聞くほうの準備も出来ていなかったからというのもあると思う。
体験してない人には
言っても伝わらない
分かってもらえない
もしかしたらそんな想いもあるのかもしれない。
僕はもちろん、戦争から帰ってきた肉親を迎えたことはない。
だが、祖母は戦地から帰ってきた祖父を迎えている。
どんな気持ちだったのだろうか。
祖父はどんな様子で帰国し、祖母や家族と対面したのだろうか。
父方の祖父は激戦地から生還したと聞いている。
小さい時その話を聞いてもピンと来ないものもあった。
きっと今もそんなにピンとも来てないのかもしれない。
先週27日金曜日、妻娘が17日間の入院生活(11日が手術)を終えて退院した。
一進一退の入院生活
お腹が空いて泣き喚く我が娘に、水分制限があるからと授乳してあげることも出来ずに、抱っこしてあやすが、娘は泣き過ぎでチアノーゼになるまで泣き、仕方なく薬を飲ませて寝かせるみたいな時期もあったそうだ。
もちろん、病院の先生は色々な症例を経験し研究し、その時考えうる最善の手を打ってくださっていたことと思う。
ただ、1日の間のちょっとした時間だけ往診し、血液検査、エコー、レントゲン、心電図の様子から処置を決定する医師と、1日中その医師の指示に従って、いくら娘が泣こうが、母乳を要求しようが、それに応えることが出来ずに付き添うことしか出来ない妻。
思考を停止して、医師の言うことに素直に従っていたらどんなに楽だろう
ただ、24時間娘と一緒にいて様子を観察して、医師の説明から色々自分で考えて、インターネットでも色々検索して、医師にめんどくさい母親だと思われながらも医師に相談して、娘が楽になるように楽になるようにと母親視点で考え行動することがどんなに大変だったか
何度も、思考を停止してただ従うだけがどんなに楽だろう、と思ったという。
だが、最終的な責任は母親である自分にあって、何かあっても医師が責任を取るわけではないということから、一生懸命娘と向き合い続けた17日間だったと思う。
帰ってきた妻は、グッタリしていた。
何度も涙を流しながら「辛かった。」「疲れちゃった。」と言っていた。
僕は今これを僕の限られた想像力で書いている。
17日間という期間であったが、それがどれくらいのものを彼女の身体に蓄積、沈殿させていったか。
途方も無い経験をしたことだと思う。
こんな事を機に、僕も色々な書籍をとってページをめくってみたりもする。
今は前よりも想像力が働く。
本当に人生は様々だ。
何回も言うかもしれない。
今まで「当たり前」と思っていたことは、全然「当たり前」でなく「有難い」。
退院後「私、鬱かもしれない。ノイローゼかもしれない。」と弱音をはく妻に
僕は戦地から帰還しPTSDになる人、兵士を連想した。
思考を停止させて、自己防衛に走る脳と身体。
大げさに聞こえるかもしれないが、本当によくよく考えていかなくてはいかないことだと思った。
戦後70年か
今も世界を見渡すと戦争・紛争は絶えない。
ここまで社会は成熟(?)しても戦争・紛争は無くならないものか
人間は賢いのか、愚かなのか
(最近の日本政府の動向も気になる)
イスラエルに住むお母さんの言葉が蘇る
「この子が大きくなるまでに兵役がなくなれば良いのに」
退院して公園で授乳
久しぶりの外でした。
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