2015年9月17日木曜日

圧倒的技術と信頼

首が回らなくなるときがある。
決してお金が無くて・・・という意味ではない。(ま、お金も潤沢にあるわけではないが。)
本当に、物理的に回らなくなるのである。

筋肉がこわばって(寝違いのようなものなのだろうが、いつまでたっても良くならないのがやっかいなのである。)回らない。

そんなときに行く鍼の先生がいる。

目の見えないおじいちゃんの先生。

まず体を触って、脈をはかって、そして鍼をうっていく。
鍼だけ。

電気治療なんかも無いし、マッサージも無いし、矯正もない。
鍼だけ。

そして鍼は痛みは微塵も無く、そして3,40分鍼をうつと、不思議なくらい筋肉のこわばりは取れ、そしてある程度痛みもなくなっている。そして翌日にはほとんど痛みは取れ日常生活が戻ってくる。

その圧倒的な技術力。

素晴らしい。

そして、そこは決して有名ではなく、僕も藁をも掴む思いでタウンページに載っていた先生を訪ねたのが初めての出会いだった。

小学校のときからこの痛みと付き合っている僕は、接骨院、整形外科、さまざまな病院を訪れ、そしてさまざまな先生と出会ってきたが、今お世話になっている先生は群を抜いている。

とても小さな鍼灸院。

先生と出会えてとてもラッキーだった。

あ、ちょっとやばそうだなと思ったときに「先生のところへ行けば」と思える安心感。

すごく大好きな先生だし、先生のような人に僕もなりたい。

鍼奥が深いなぁ。

今回もスッと痛みを取り除いてくれました。

2015年9月10日木曜日

秋めいてきました

秋雨前線や台風の影響で雨がちな日が続いています。
このまま冬に突入してしまうのじゃないかというどんよりとした天気です。

仕事の関係で魚釣りに行った帰りに魚市場でサンマを買ってきました。
前日にチラッとつけた「サザエさん」でカツオがさんまを焼いていたのを思い出したからです。
そんな季節なんですね。

仕事から帰って来て、雨が降っている中、玄関先で炭をぱちぱちさせながらサンマを焼けることの平和さに感謝です。
今住んでいる家に引っ越して来たのが2年前の11月でした。
そのときからずっと屋根裏部屋を作りたいなと気がかりだったのですが、今週屋根裏に板を張り終えることが出来ました。


テーマは子どもの秘密基地
子どもが屋根裏に登って遊ぶ期間なんて限られているのだろうけれど、ここで何かしらの感性が刺激されたらなというちょっとした想い。

木組みの家ってかっちょいい。
アカマツの梁を丸のままで組んでいく技術。

大きな木から感じる安心感。

そして梁にかけているのは、この家を建て替えたとき、前の家の大黒柱の栗の木。
江戸時代初期に切られた栗の木。
お守りのような形で今もここに保存しています。

ずっと心にひっかかっていたものが片付いてホッとしています。

冬の間に物置の整理や、裏の納屋の整理もしたい。

今月からWWOOF登録をしました。
世界中から有機農業に惹かれた若者や、有機的な生活に惹かれた若者が我が家に立ち寄ることになりそうです。
なったらいいなぁ。

そして色々お手伝いしてもらおうと思っています。

来月は中国から
再来月はアメリカから若者が滞在する予定になっています。

色々お手伝いしてもらいたいのもそうですが、子どもに多様な大人や価値観に触れて欲しいというのが1番の想いです。

2015年9月3日木曜日

娘に教えられること

9か月になった娘に教わることは多い。
21番目の染色体が1本多いだけで現れてくる様々な特徴。

ダウン症は結構有名な染色体異常だけれど、でもそんな染色体異常でなくても、人はそれぞれ遺伝子に支配されながら色々な特徴を持って生まれ、そして生きていく。

人は実に様々で、その多様性を認めながら生きていくということを娘から強く教わっている。

今までも割と色々なものに寛容な方であったが、増々「ま、それもありだよね。」と寛容になってきているような気がする。

そもそも、「こうじゃなきゃいけん!」ということは社会にどれくらい存在するのだろう。
ここまで「豊か」な社会になった日本も国民が感じる幸福度は国連加盟国中でも上位ではないそうだ。
その分析をしている人たちによると、1つの要因として人生の選択幅が狭いということらしい。

子どもを2人授かった今、子どもに対して思うのは自分の人生を肯定しながら楽しそうに生きて欲しいということだ。

いかに社会において自立してそのように生きていくか。
息子の時ももちろん考えていたが、娘が生まれてまた強くそのように感じ、思う。

先日同じ町内でダウン症の娘を持つ家族を招いて我が家で一緒にご飯を食べた。
僕たちと同じような年頃のお母さんだが、娘さんは中学生

お母さんが今まで切り拓いてきてくれた道を僕たちは歩かせてもらっている。
今、お母さんは娘さんの社会的自立に向けて一生懸命活動されている。

僕も彼女の仲間に入れてもらい、色々一緒に活動させてもらえたらと思っている。

子育ては親育て

息子が生まれて3年半
娘が生まれて9か月

まだまだ新米です。

日参

長らく更新していなかったけれどまた再びちょっとずつ書いていこうと思う今日この頃。


僕たちが住む集落にはお宮がある。
30数世帯ほどの集落に独自の神社があるというのはすごいことらしく、なかなかそんな集落は無いらしい。
 
毎日毎日集落の人が順番にお参りに行く。
 
今朝はうちの番だったので息子と一緒にお参りに行った。
 
神社にお参りに行く習慣なんてものはここに引っ越してきてからのものだ。
でも、集落みんなで神社を神様を大事にしている感じが僕は好きだ。
 
仕事柄、子どもに絵本を読んであげることが多い。
僕も小さいころに読んだ記憶のある「おならのしゃもじ」。
 
主人公の若者はとても貧乏でいつも腹を空かしていて、ある時このままじゃやばいと神社にお参りに行く。
「何か食べ物を・・・」
 
すると神様が赤と黒のしゃもじをプレゼントして・・・と物語は続いていく。
 
日本の昔話を読むと良く神社が登場する。
困ったときは神社に行く描写を良く見かける。
 
 
自然な流れで神社の鐘を鳴らし、手を合わせる息子。
 
僕も下の娘が大変な時はよくここで手を合わせたものだ。
 
息子が神社からの帰りに「なんで神様は見えないの?」と聞いてきた。
僕はなんで見えないのかなぁとしばらく考えながら
「神様は見えるものじゃなくて感じるものなのかなぁ」
と応えた。
 
神様というものが存在するしないは別として、そういった何かsomething greatな存在を感じながら生きていくことは何か大切なことのような気がしてならない。
 
 
おかげで娘は元気になって、家での4人での生活が当たり前になった。
下の歯が一本生えて、お座りも1人で出来るようになった。
 
 
カウンターで4人で並んでご飯を食べれるようになった。
 
沖縄の友達から届いた南国のフルーツがちょっと涼しくなってきたこの家に南国の香りを漂わせた。