昨日、「ちょっとお話をして欲しい」と呼ばれ出かけてきた。
楓ちゃんと2人で特急電車に乗ってお出かけ。
軽トラックで2人で行くにはちょっと距離もあるしということで久しぶりに汽車に乗った。
楓ちゃんは手帳をもっているので乗車賃が半額になった。
楓ちゃんはすごい。
社会に守られる存在なんだなと思う。
日本ではそのような制度があるが、もし途上国だったらこういった制度上の優遇は無いんじゃないかな。(もしくは少ないんじゃないかな。)
そう思うと、やっぱり先輩たちが声を上げて獲得してきたものの大きさを感じます。
2人で汽車に乗ってお出かけってなるとなんだかデートみたいです。
よく娘さんを持つお父さんが娘のことを「彼女みたい」と表現するのを見聞きしますが、分からなくもないです。
昨日の僕の彼女は天真爛漫な少女でした。
写真を撮りたいと,顔を出すところへ向かう彼女。
背が足りません。
荷物を持って、いつでも昼寝が出来るようにとベビーカーを押しながら一緒に会場へと向かいました。
ちょっと進んでは立ち止まり。
ときにはわざと反対方向へ進んだり、お店に入っていき、店員さんにあいそ良く挨拶したり。
汽車では部活帰り(?)の女子高生グループの隣に座り、女子高生が手に持っていたスマホを「貸して」とおねだりし、その彼女のスマホをいじったり。
「かわいい」「かわいい」と優しく接してくれる人が多くホッと救われます。
外に出ると、よそ行きな楓ちゃんになります。
人のいるところではあまり喋りません。
自分の想いを主張することも少なく、おとなしーくしている事が多いです。
昨日もほとんどの時間をおとなしーくしていてくれました。
それはそれで助かるのですが、自分が上手くおしゃべり出来ないことに「生きづらさ」を感じているかもなぁとも思うわけです。
僕も小学生の時に、カナダに移り住んで、相手の言っていることは理解出来るけれど、思っていることを思うように表現できない体験をしました。
それにもしかしたら似ているのかなとも想像します。
この前、NHKの自閉症に関する番組を見ました。
楓ちゃんも今は上手に「おしゃべり」出来ませんが、きっと多くの事を理解しています。
父親として多くの時間を彼女と過ごすから、分かることも、パッとした見た目はやっぱり他の同級生の子たちとは大きく異なるので理解の乏しい人はギョッと面食らう事もあると思います。
僕自身も、「知らない」が故に面食らったり、ギョッとしたり、無理解な行動をしてしまったりとがこれまでもあったし、きっとこれからもあるかと思います。
「そういうこともあるかもな。」とか、「なんでそうなるのかな?」その人と向き合ってみる姿勢だったりとか、
すべてを理解することは神様じゃないから無理だけれど、分かり合える喜びをこれからも感じながら自分自身もあれたらとは思います。
昔から、誰とでも仲良くなれてしまう人に憧れていました。今も憧れます。
自然とそういう事が出来たらすごいことだと思います。
楓ちゃんの笑顔、良い写真だわ―。
返信削除2人でっていうのはレアなケースで、楽しんで来ました。
返信削除お話の間は託児の人に見てもらえて、楓ちゃんは「良い子」にしていてくれたみたいです。
あんまり喋らない楓ちゃんは外出にちょっと緊張もしていたのかもしれません。