森のようちえんに日々通う。
毎朝地元の小学生が通学時うちの前を「おはよう」とあいさつしながら通り過ぎていく。
夕方、その小学生たちが毎日のようにうちに寄っては、一休みして帰っていく。
息子もその小学生たちと一緒に楽しそうに時間を過ごす。
この前、僕が帰宅したらうちの前に何やら楽しそうな秘密基地がこしらえてあった。
トイレを最初に作るところからこの秘密基地作りはスタートしたらしい。
石を敷き詰めて、におうといけないから近くに生えているミントを敷き詰めて・・・と、そうこうしているうちに秘密基地作りに発展。
屋根があって、床があって、屋根からの滑り台があって・・・。
子ども達はイキイキと楽しそうに、製作にとりかかっていた。
あぁ、近所に子どもがいるってありがたい。
お兄さん・お姉さんは息子のことをとても可愛がってくれる。
こうした異年齢交流が、幼稚園終わった後、小学校が終わった後に繰り広げられる環境。
素晴らしい。
初めての外泊を幼稚園のお友達がうちでしてくれた。
息子も初めての外泊をそのお友達のお家でした。
子どもの成長に嬉しさ半分、寂しさ半分。
子ども時代なんてあっという間。
どうか幸せな子ども時代がずっと続きますように。
そしてその後も幸せな時間が待っていますように。
先日Yahooニュースで「ダウン症の人9割が「幸せ」を感じながら日々過ごしている」という旨のニュースが紹介されていた。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6217521
娘は毎日「今」を生きている。
喜怒哀楽色々と表現するようになって楽しい。
僕が帰宅して高速ハイハイで出迎えてくれてギュッと抱きしめて「おかえり」をしてくれる。
今ではそのように僕を扱ってくれるのは娘だけでとても愛おしい。
(妻も息子も僕のことを好きでいてくれていると思うが。)
そんな彼女が大きくなっても「幸せ」を感じながら生活してくれたら嬉しいし、そんな希望を抱かせてくれるニュースに触れて嬉しくなった。
「幸せ」を感じながら生きるということ
「肯定感」を感じながら生きるということ
これは彼女だけでなくて僕自身、そして多くの人が目指すところではないだろうか。
結局、僕は彼女から教わることは多々あると感じている。
近くに彼女がいてくれて良かった。
彼女が僕の人生の先生の1人になってくれるようなそんな存在として彼女のことを最近感じている。
民泊にWWOOFに全国から実に様々な人がうちを訪ねてくれる。
今後どのように人生の舵をきっていこうかと思案する若者、今おかれている環境に違和感を感じている家庭
彼らはうちでの生活の時間から何かを感じ、そして僕たちも彼らとの時間の中から何かを感じる。
片田舎にいながら、こうして様々な人と交流できることはとても有意義だ。
この前、埼玉から民泊に来られた夫婦は早くも私たちと同じ町への移住を決めたそうだ。
年収500万、週休二日、5時には帰宅、出勤時間家から10分
聞くと羨ましくなるようなその環境も、彼らからしてみたら「なんか生きてる実感がない。ほとばしるような情熱の無い日常」
ということらしい。
時代は変化している
子ども達が大人になるころにはどのような社会になっているのか。
願わくば世界中の人たちが平穏に暮らせる社会であってほしい。
かつて訪れたシリアの国の人々の今を想像すると、たちまち心がふさぎ込んでしまうわけだが、人間社会を作るのは人間。
そこに希望を抱きながらこれからも身近なことに丁寧に向き合い生活していきたい。
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